【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
結果か、経過か
関西大学社会学部 齊藤千尋 21歳

「こうも、狂うのか。学生から社会人になることは」と考えていたのが少し前の私。

私は今、来年から始まる社会人に向けて、ある職場のインターンに精を出している。中学生から憧れていたマスコミの世界。その世界に少しだけ足を踏み入れた私は、正直未来の私に希望しか持っていない。はずだった。実際、思っていたよりも社会は私に厳しかった。「結果じゃないぞ。‘今まで、自分がどう頑張ったか’、が大事なんだ。テストも行事も部活もそうだ」と声を荒げていた先生達の言葉が頭をよぎる毎日。「あれ、嘘じゃん」と。社会は、プロセスなんて見てくれない。結果、結果、結果。どんなに気を抜いてても結果が良ければ全て良い。どんなに頑張ってても結果が悪ければそこでおしまい。

思えば、そうだ。部活だって負けたら、勝ち上がれない。テストだって、結果はいつだって順位となって返ってくる。学生生活の経過重視のあの風潮は一体なんだったのか。それなら、最初から結果重視だと言ってくれたら良かったのに、と。私は、才能はない。センスもない。でも、努力だけが強みとして生きてきたのだ。先生は褒めてくれたし、友達もそんな私を尊敬してくれた。親だって、そうだ。

しかし、今とてつもない壁にぶち当たっているのだ。「努力より経過より、結果だ、と。生まれ持った才能とかセンスでこの世界は出来ている、と」。努力すれば、確かにそこそこの結果は出る。しかし、1番になるのはセンスの良いどうしても勝てない人達の結果、なのだ。1番以外の人は評価されない。社会は、こうも厳しいのか、と。じゃあ、私はどうしたらよいのか、と。壁にぶちあったっているというか、今までとこれからの振り幅が大きすぎてどう考えたら良いのか分からないのだ。

これまでは、少し前の私の話。とりあえず私は、考えても仕方がないので、とりあえず「盗む」ことにした。私は、努力の視点を変えたのだ。センスの良い人の「センスの良い部分」を自分なりにアレンジして「盗む」ことにしたのだ。社会人は全て私の先輩。盗み放題なのだ。センスの良いとはどういうことなのか。結果が出せるとはどういうことなのか。観察をして、盗む視点から職場で働いて気が付いたことがある。それは、知識とかそういうものは後からついてくるものだと、と。

結果が出せる人は、いつだって本気なのだ。会議中、半分学生の身の私にも目を向けながら話してくれるのだ。そして思わず姿勢を前のめりにして話を聞く私がいた。そうすると、相手は私へ目を配る回数が増える。ちょっとした良い相乗効果を色んな相手に対して作る人が、良い仕事を作ることを知ったのだ。相手は本気で良い仕事を作ろうとしている。そうすると、どんな相手でも良いからアイディアが欲しいと思う。できるだけ沢山の人に。その思いからこの「目くばせ」があるのだ。

挨拶が出来る。気を配れる。話を聞くときは頷く。これら全て、私が「センスの良い、仕事が出来る人」から盗んだものだ。しかし、これら全て「人」あってのもの。相手を想う優しい人が、結果に繋げることが出来るのだ。そして、私は気付いた。先生が言っていたことは間違いじゃなかった。経過を振り返ればいつだって、「人」がいる。その人達にしっかりと、目くばせ気くばせ出来ている時は結果がついているのだ。センスと努力は対義語のように思えていたがそれは違う。人ありきの結果と経過なのだ。

今、私は憧れの世界に少しだけ足を踏み入れている。悩んでいた私はもういない。自分から踏み込んで自分なりの足跡を社会につけていきたいと思う。待ってろ、社会。

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