私は高校生の時からゲームやWEBサイトといったものが好きでJAVA、JavaScript、HTMLを独学で学んで、実際に作品を作ったりしてきました。また、大学1年の時には3Dといった技術が発展し、ますますゲームに興味を持って、手始めに飛び出す絵本アプリをアンドロイド用に作りました。しかし、この時はまだ制作する人間としての意識が低くかったのだと今でもひどく痛感しています。なぜなら、実際にインストールしてくださったユーザーからは不評が出ても「こっちはできるだけの力を尽くしたのだから、そんな要望を言われても無理!」と一点張りで更新することさえ放棄していたのですから。本当に今から考えれば、ゲームクリエイター失格という想いでいっぱいいっぱいです。
そんな私が「受け手に対して分かりやすく伝えなくては意味がない」と理解したのは、とある講義がきっかけでした。様々な業界を取り扱う情報学の講義では「内情から今後生き残っていく市場とはどんな業界であるか」を事細かに調べ上げ、何度もプレゼン発表を繰り返していました。たまたま日本の産業について調べる機会があった際、私はちょうどフェイスブックで出会ったアメリカ人の友人から「コスプレ」についての話を聞いていたので、意外とそういった自分とはかけ離れた分野を研究してみるのも面白いのではないかと「コスプレ」をテーマにしました。ですが、この講義はそもそもプレゼン発表が多いせいか、下級生には敷居が高く、周囲は上級生ばかりで同級生は一人もいませんでした。仕方なく1人でやることになりましたが、その分「分りやすく面白い!納得できる!とにかくすごいプレゼンをしてやろう!」という気持ちが高まりました。でも実際は自分に見向きもしなかった上級生を「こいつ、1年のくせに結構やるじゃないか!」と言わせたい下心がバイタリティに繋がっていたのではないかと思います。難しいデータの説明に関してはうまい棒、チロルチョコといった身近な物を使って換算し、工夫しました。その結果、採点投票でクラス全員の票を獲得し、見事にベストプレゼン賞に選ばれました。その時はとても嬉しくて自分が作ったものを周りに評価してもらえることに喜びを感じました。
次に2年生から3年生にかけてテレビ局でインターンシップをしていました。入って早々良くも悪くもOJT形式で自主的に学ぼうとしなければ、どんどん追いていかれてしまう現場でした。大学に通いながらも、番組の企画や脚本等を任され、戸惑うこともありましたが、まず先にやるべきことを決め、そこからどうやって与えられたその仕事をクリア出来るかと自分なりに考えてこなしてきました。すぐに分からないと投げ出すのではなく、思考して自分が出来る限り範囲でとことんやってみることをいつも意識するようになったのはこの経験があったからこそです。
4年生に昇級し、しばらくして「やっぱり自分はゲームクリエイターになりたい!」と思い返すようになり、そして自分の作ったゲームでまた「ゲームクリエイターになりたい子供たちに夢をもたせたいなあ」と自然とそういう意識ばかりが頭の中の大半を占めていました。そして偶然契約社員として入れたゲーム制作会社にて、実務を積みつつ、卒業制作にも取り組んでいる毎日を送っています。どんなに辛いことがあっても予想外の事態が起きたとしても、今まで自分が失敗してきた経験から「どうやって立ち回ろうか」「いっそのこと立ち向かってみるのもいいかもしれない」とハラハラドキドキのかけ引きをするのが思いの外楽しくて、自分の能力と実力を磨くべく努力しています。