【 努力賞 】
【テーマ:私がやってみたい仕事・働き方】
ずっと寄り添うということ
昭和大学薬学部 大沼菜摘 19歳

「復興」とは、どんな状況に対してつけられる言葉なのだろう。二年前の春、私は東京駅から深夜バスに乗った。陽の光で目が覚めた私を出迎えたのは、黒々とした大海原であった。

私は今、大学で薬学を専攻している。弟が幼いころ喘息で苦しんでいたため、病院や薬はとても身近なものだった。最初は一時的に発作を止めるという単発的な治療であったが、年齢を重ねるにつれて気管の炎症を長期的に抑える、という治療に変化していった。そんな患者の家族としての立場から、現在の医療には患者の身体的苦痛だけでなく、いかに精神的苦痛にも配慮し和らげられるかという大きな課題がある、と認識している。薬で身体を健全に保ち、その上で精神的なケアを行うことが必要であると感じる。

高校三年生の春休みに参加した、陸前高田市でのボランティア活動では主にがれき処理を行った。海風が冷たく吹き荒れる中、海沿いの畑だった場所を掘り続けた。ブロック片やガラス片が次々と鍬に当たり、その度に「復興」の二文字をうらめしく思った。地元の方と懇談した際には、持病を抱える方々に薬が届かず、不安であったという声を聞いた。そもそも自分が普段飲んでいる薬の名前を把握していないため、カルテが流されたり破損したことで、医師団の診察を受けるまでは薬物治療を開始できなかった方が大勢いらっしゃるという話だった。また習慣化した「服薬」という作業がなくなったことで、不安が増し持病が悪化した例もあるという。

薬学部では薬についての講義はまだ少なく、人体の構造や薬が効く仕組みを学んでいる。私はそのような基本的なことを知った上で、薬物治療を提案できる薬剤師になりたいと考えているが、もう一つ心がけていることがある。それは単発的でなく長期的な治療をしていきたい、ということだ。弟の喘息治療が長期的なものに変わってから、薬は日常生活のパートナーになった。またボランティア活動で出会った方たちも、薬はなくてはならないものであると認識していた。薬は長期的な使用をされるべきであり、服薬する患者さんだけでなく医療者も長期的な治療を行うべきであると感じた。

それだけではない。私はボランティア活動も単発的ではなく、長期的に行うべきものの一つだと考えている。震災から三年以上経つ今、なかなかボランティアが集まらないと聞く。省エネ、節電も当時に比べそれほど呼びかけられず、親戚が住む関西では冷房でオフィスがこれでもかというくらい冷えているという。被災地との物理的な距離が離れていると、心が離れる度合いも早い。当初は日本中が一丸となって全力で支援をしていたが、現在ではどれだけの人が東北に思いを寄せているのだろうか。

今年の夏、女川町の中学生を横浜に招待し、さんまショップや病院施設を案内するというボランティア活動に参加する。被災地の若者が首都圏に足を運ぶことで、視野を広げ夢を持つきっかけになればよいと思う。お年寄りへは心身ともに前の状態に近づけ、維持していくケアが求められるが、若者たちには前の状態に近づけつつ更に、将来にどんな夢や希望を見出すかが重要である。私はそのきっかけを作れればいい。それは私が、薬剤師として治療するときの働き方であると同時に、人として支援するときの生き方でもあるのだ。

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