【 努力賞 】
【テーマ:私がやってみたい仕事・働き方】
医師という仕事
札幌医科大学医学部 木元蓉子 18歳

私が進路をはっきり決めたのは高二の秋。何となく考え出したのは中二頃。中高一貫の女子校で、学年主任がいつも言っていたのは「世界に羽ばたく女性になって欲しい」ということ。勉強したくても学校にいけない子がたくさんいる中で、わざわざ中学受験をして高い授業料を払い、当たり前のように大学進学という道しか見ていない私たちは実はとても恵まれた少数派だと強調されていた。親に感謝。そして自分にある能力を社会に活かすこと。途上国の実態を見て可哀そうだと思うなら、今自分にできることは勉強することだと思った。高二までは保育園の先生や国連事務員、水族館の飼育員に通訳者など様々な夢を持っていた。英語が好きだが理工系にも天文にも、経済学にも興味があった。しかし、一生の仕事にするということを考えたとき、どれもピンとこなかった。私が一番、人の役に立てるのは医師だと思った。親が普通の会社員で、日曜の夜にはため息をつくのを幼い頃から見ていたため、職業に関して自分の好きなことを仕事にしたいという点だけは譲れない。現役で国公立の医学部にこだわった私はセンター試験が終わった後、泣きながら地方の大学に願書を出した。医師になれるのなら学ぶ場所なんてどこでもいいと思った。

自分にまっすぐに生きて、患者さんから全面的に信頼される医師になること。どんな医師になりたいですかと聞かれたらこの一文が真っ先に出てくる。私は医師と患者という立場よりも、友人に近くありたい。気さくに話せて何でも言える相手。この人になら自分のすべてを預けてもいいと思ってもらいたいし逆にその人のすべてを受け止められる人になりたい。命を預かるからにはいつでも自分に自信を持っていたい。自分のことが嫌いな人に自分の人生を託したくはないだろう。

夢列車に乗るまでは、その華やかな外見に心躍らせ将来の夢というきらきらした行先を思い描いては憧れに目を輝かせる。しかしいざ乗ってみるともう自分ではその列車の見た目を外から見ることはできないし、窓から見える景色は今までとそれほど大きな違いはない。途中下車せずに終点で降りたとき、初心をそのまま思い出せる人が、いま仕事で輝いている人だと思う。

国境なき医師団や国際ボランティアに参加して自分の活躍の場を世界に広く持っていたかった。大学は国内僻地の地域医療に力を入れている。一年生は教養科目が多く医学的な授業はほんの少ししかない。実験の授業で白衣を着ても、医師として活躍している卒業生の先輩と話しても、自分が働いている姿はぼやけた想像しかできない。子供が好きだから小児科医にもなりたいし癌や成人病、老化の仕組みなどにも興味がある。それはこの六年間で、焦らずゆっくり決めればいいと思っている。ただ私は積極的にがっつく精神だけは忘れたくない。常に上を見ていたい。まだいける、もっとできる。受験生時代によく自分の中で唱えていた。新しい医療技術が進歩する中で、医師は生涯勉強だ。チーム医療において人付き合いも欠かせない。患者さんに寄り添い一緒にいる時間も大切にしたい。

医療費を減らし医師を増やそうという今の日本の制度は矛盾している気もするが、自分が臨床の場に立ち実際に医療崩壊を感じたら制度を変えるように働きかければいい。法律は、変えられる。一人の力は微力だけれど無力ではない。私たちの生きる社会は私たちが作るのだ。今よりもっとよくできるはずだ。

それぞれの職業がそれぞれ社会に必要な役割であって、全部、世の中を回してゆくのに大切な仕事だ。その中で私は医師という道を選んだ。今はまだ何もできない未成年だが六年後、八年後、四十年後、臨床医として世界を回す一員に加わりまっすぐ歩いていたい。

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