「はあ…」
私は、思わずため息をついた。私の片手には進路希望調査。
「高校二年生になったんだからそろそろ自分の進路について真剣に考えてきましょう」と先生が言ったが周りのしゃべり声にかき消されてしまう。私も窓の外を眺めながら先生の話を右から左に受け流した。みんなはどのくらい自分の進路が決まっているだろう。正直とても不安だ。私だって将来の夢くらいある。でも、いろいろ変わりすぎて自分でも自分が何をしたいか分からない。いっそのこと誰かが決めてくれればいいのに…と思ってしまう。
帰り道、私は、ゆっくり自転車のペダルを漕ぎ、車のライトに目を細めながらふと考えた。なぜ人は「働く」のか…。自分のやりたいことを仕事にしているひとなど、ごくわずかだ。「働く」上では、嫌だと思うこともしなければいけないし、苦手な人ともうまくやっていかなければならない。私は、考えながらもペダルを漕いでいたが信号で止まった。大人たちは、なぜ汗水流して必死に働いているのだろう。重たい荷物を持ったり、意味もなく頭をペコペコ下げたり。信号が青に変わった。私はその時
「ああ、そうか」
と気づいた。生きるためだ。生きていくためには働いて給料をもらって生活費を得なければならない。国民の義務なのだ。生活するために人々は、苦労して働いている。
ん?だが本当に理由はそれだけなのだろうか。思わずペダルを漕ぐ足を止める。社会の役に立つことこそが「働く」であるのではないだろうか。その時母の顔が頭に浮かんだ。
私の母は、医療事務という職業についている。主に病院の受付の仕事だ。母は、患者さんに
「いつもありがとね」
とか
「ここに来たおかげで元気になったよ」
と言われるそうだ。病院の人全員にお礼の品をくれる人も稀にいるらしい。そんな母が
「お礼の言葉を言われると、仕事の疲れもふっとぶものよ」
と言っていた。
私は思った。人の役に立つことは、すばらしい。これこそ真の「働く」ということかもしれない。私は高速でペダルを漕いでいた。ぶつかってくる夜風がきもちよかった。
「私は人の役に立つ仕事がしたい。福祉や医療関係の仕事を」
この言葉から私の夢への扉が開かれた。