【 努力賞 】
【テーマ:私がやってみたい仕事・働き方】
私の夢、私の未来
愛知県立時習館高校 仲川凜香 16歳

「うちは貧乏だから、浪人や下宿生活はさせてやることができないからそのつもりで」
この春、高校二年生になる前に、学校から来年度の履修について文系か理系かを選択する用紙を家に持って 帰った時に父から言われたひと言だった。このひと言は短いが次の三つの意味が込められている。
一つ目は、授業料の高い私立大学には行かせられないから国公立の大学を目指しなさい。
二つ目は、浪人など"以ての外"。自分の成績に見合うか、レベルを少し下げてでも確実に入れる大学を受験しなさい。
三つ目は、下宿生活は仕送りが大変で金がかかるから実家から通える大学を選びなさい。
つまり、この三つの条件をすべてクリアできた大学が私の目指す大学となる。
私の得意科目は数学と物理だから必然的に理系選択となり、数ある大学の中から一校のみが、そのすべての条件をクリアしていることがわかった。上記条件に見合う大学は教育系で、大方教師を目指すことが決まってしまう。" 教師?" " 学校の先生?"私の頭の中でその言葉がグルグル回り、回れば回るほど"口下手な私の選択する職業ではない"と打ち消そうとする自分がいた。

私の理想とする職業は、今年一月、センセーショナルに現れたリケジョの星の彼女のような研究職だった。なぜなら研究職なら、私の苦手とする人との対話や、ややこしい人間関係を賢くこなせるような器用さよりも、研究に没頭することの方が良しとされる世界ではないかと考えているからだ。私はスポットライトを浴びて光り輝いている彼女が発表しているテレビでの姿を見て将来の自分の姿を重ね合わせていた。その後リケジョブームの雲行きが怪しくなり、その終焉とともに私の希望のともし火も消えようとしていた。

そんな時、母方の祖父が脳梗塞で倒れ名古屋日赤病院に入院した。幸い発見が早く、手当も適切だったため後遺症もなく二週間ほどで退院した。祖父は七十八歳、祖母七十二歳と老人二人で名古屋に暮らしているために、一人が病気を抱えた状態では放っておけない状況となってきた。お見舞いを兼ねてゴールデンウィークに名古屋の母の実家に遊びに行った折り、祖父から、
「りりちゃん、大学は名古屋から通や〜いいがね」
(あなたの通う大学は名古屋の実家から通える範囲の大学にしなさい)
と言われて、「はい」と即答している自分に驚いた。母も
「りりが名古屋に住めばおじいちゃんたちも心強いと思うわ。その方がいいかもね!」
と納得顔だ。運命の扉が開き、私の目の前に一筋の光明を見出した。

名古屋からなら交通機関の便利さが格段に変わる。つまり選択できる大学が今の一つから六つになる。その中には私が得意とする科目を専門とし、リケジョになるための学部も多く存在する。そう、なりたい事、やりたい事の夢が近くなるのだ。

しかし、本音はリケジョとなりバリバリ研究をこなし、世間を驚かせるような研究発表をして成功を収めたいと思う反面、研究に一生を捧げ続け、"お一人様"の寂しい老後にはなりたくないし、子どもを産んでしっかり育てたいとも思う。

最近変わってきたとはいえ、今の日本社会は、まだまだ結婚後の家事や子育てにかかる時間の占める割合は女性の負担が大きい。女性は結婚をして一度家庭に入ってしまうと子育てを終って元の職場に社会復帰したくても"一度引退した者が今更・・・"という風潮があるし、寿退社と言う言葉が意味するように結婚=その会社を引退し再就職なしという構図が成り立っているところが未だに多い。それゆえ女性として、何年たっても元の職場に復帰できるような社会構造の改革が今後なされるように期待してやまない。

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