【 佳 作 】

【テーマ:女性が輝ける働き方】
女性が輝ける働き方
新潟県 廣田あゆみ 32歳

物心付いた時から母はいなかった。

母子家庭で育った私は祖母に育てられ、母は体が弱い中早朝から晩まで働きづめの毎日だった。

私は、周りの友達のお母さんを見て、母の姿と対照的に働かなくても暮らしていける専業主婦の姿に強く憧れると共に、忙しく働き、私達姉妹の話に耳を傾ける余裕のない母の事が嫌いでどこか軽蔑していた。寂しかったのだと思うし、愛情に飢えていた。

経済的に余裕があるとは言えず、祖父母の援助を受けながらの生活の中で、母は唯一教育にかけるお金を惜しまなかった。

学習塾に通う事を強制し良い成績を求めた。

私自身、母の喜ぶ顔が見たくて進学校への合格を果たし、警察官という職業に就いたものの、職業柄女性が圧倒的に少なく、女性への無理解に苦しむと共に、結婚後は更に仕事と家庭との両立に苦しむ事となる。

キャリアアップは二の次、細く長く仕事を続ける事ばかりに意識が向いた。

一刻も早く家に帰り家事をする事ばかり考え、採用されたばかりの頃にあった仕事に対する誇りや使命感を見失い、仕事とは労働の対価との思いを強めていく事になる。

そんな状況下で子供を産んで産休・育休を取得するなどという選択肢は無く、子供を産むなら仕事は辞めなければならない、今自分が抜けたら組織は回らない、自分の代わりなどいないなどと追い詰め、子供を産む事を後回しにして仕事に没頭する自分がいた。

激務をこなすうち婦人科を患い、訪れた産婦人科での診察結果から、出口の見えない長いトンネルでの苦しみがはじまる事となる。

検査の結果、私の不調だけでなく、夫が乏精子症という、男性不妊患者である事が判明した。

治療は3年に及び、結婚して8年が経っていた。

治療の為に仕事を休むのが申し訳なく、もっと早く手を打っていれば、あの時妊娠を後回しにし仕事を優先させた自分にばちが当たったのではないかと、子供が欲しくなって授からない悔しさから自分を責める日々が続き、精神的にも限界だった頃、双子の妊娠が判明した。

この時の嬉しさは何にも代え難く、長いトンネルの出口に立った喜びを実感した。

今、私は無事出産し、当たり前のように3年間の産休・育休を取得し子育てに専念する事ができており、これも職場の方々の理解と、整った環境のおかげであり、とても有難く感謝している。

自分の代わりなどいない、と一人思い詰めたあの頃の自分に言いたい。

自分などいなくても組織は回るのだと。

子育て支援が盛んに取り沙汰される今日、せめて公務員からでも民間企業に先立ち子育て支援が進んでいかなくては制度は浸透していかない事は言うまでもない。

民間企業の中にはこの制度が拡充しているとはとても言い難い企業が多く、私は周囲に対し、育児休業を8年間取得するとはとても申し訳なく声を大きくして言う事ができない。

育児休業どころか、産前休業すら予定日のぎりぎり6週間前という企業すらざらだからだ。

また、今は妊娠を理由に退職を強要するなどのマタニティハラスメントも盛んに言われるところとなり、これを機に根絶に向けた意識改革が進んで欲しい。

働く妊婦がマタハラにあっても異を唱えないのは復帰してまた働きたいからであり、それをいわゆる管理職世代にも理解して貰いたいと願ってやまない。

今、母は私にとって一番の理解者であり、私を尊重し、どんな時も見方でいてくれる唯一無二の存在だ。

育児に奮闘する彼女とはいわば戦友であり、母との同居を快く受け入れてくれた主人と生涯続けていける仕事に出会えた事にただただ感謝する日々である。

私は今、一時失いかけた仕事に対する誇りと使命感を取り戻し、社会に貢献できる喜びを噛みしめると共に、復帰後はキャリアアップも目指したい。

女性という、社会の発展に必要不可欠な、世の中の隠れた優秀な人材が埋もれたままでいる現状を危惧すると共に、これからは女性を積極登用し、十分な子育て支援制度の下、安心して仕事に専念できる環境が整っていけばと思う。

仕事にやりがい、生きがいを見出し、輝きに溢れ、充実した人生を送る事ができる女性が一人でも増えればと切に願う。

それが日本の将来の発展に繋がると信じて。

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