【 佳 作 】
「世界の人々特に同じ地域のアジアの人々に幸せ、喜びを届け、彼らの暮らしの支えに少しでもなること」それを実現することが一生をかけての目標です。そしてこのきっかけとなったのは「大学のゼミナールで共に勉強したアジアの留学生」です。
このような経緯に至ったわけを簡単に紹介したいと思います。私は今の大学には第一志望として入学したわけではありませんでした。1回生の時に悔しい気持ちを切り替えることができず、学校に通わず、自堕落な生活を送る日々続いておりました。ある時、その様子を見た父親が珍しくぽつりと「自分の大学や自分のこれまでの人生に誇りを持たなければ、一生腐っていくし、後悔しかしないぞ」と言われました。そこで初めて私はこれまで自分と向き合わず、その結果や現実から逃避していたことに気が付きました。そこからまず目の前にあることに取り組もうと思い、大学の授業を休まず、成績も上位を取るように努めました。ゼミナールの入室の時にも厳しい研究室に入ろうと思いました。
このゼミナールとの出会いが私にとって大きな転換期となりました。半数以上がアジアからの留学生ということで、これまで周囲に日本人しかいなかった私にとって未知の経験ができることと厳しい鍛錬を必要とするゼミナールということですぐに入室しました。
留学生の方と少しずつ触れ合うにつれて、彼らの持つ向上心や生命力の強さを実感し、自分にはないと感じ、驚愕しました。その中で最も印象に残った言葉があります。韓国の留学生が言った言葉ですが、「私の国では日本のことを悪く言う人もいます。しかし、アジアで一番早く先進国入りした日本は何かあるはずであり、それを実際に目で見て確かめたい。だから日本に来た」と言った人もいれば、中国からの留学生は「終戦後いち早く、発展した日本には文化や精神など学ぶ部分は多く、是非とも留学して学びたい」と言っていました。彼らの中には、留学のための生活費や学費などを両親に頼らず、自分のアルバイトや貯金を切り崩し、勉強している学生もいて、そこまでの苦労をしてまで学ぶ姿勢に自分自身について考えさせられました。そこまで苦労をしている人が身近にいるのにもかかわらず、私はなぜこんなことで悩んでいるのかと思い知り、一層ゼミナール活動に傾倒するとともに、将来の仕事についても考えるようになりました。アジアから期待や信頼されている国として、アジアで最も早くに発展した国として、何かアジアに貢献できることはないかと考え、それが今後の日本人としての役割もしくは責務なのではないかと思うようになりました。
このような経験からアジアと日本をつなぎ、共に発展していくような対等な姿勢を持って仕事をしていきたいと思っております。私は大学生の長期休暇を利用して、アジアの国々を訪問するなか、さほど生活水準が高くないけれども毎日の生活に満足し、それぞれの人々が笑顔で毎日の生活を送っていることが印象的でした。抽象的ではありますが、現地の生活向上に携わり、彼らの幸せや笑顔を増やしていく働き方をしていきたいと思います。そしてアジアでのスタンダードが世界のスタンダードになるまでこの目標を持ち続け、いつか日本に対して好意的になる人がさらに増え、逆に日本人がアジアに対しても同じように増えることを願い、これから働いていきたいと思っております。私が悩んでいた時期から大きく転換したきっかけをもらった留学生や高校の友達に感謝していますし、今度は自身がそういうきっかけを仕事を通して、未来のビジネスマンに少しでも与えていければと思っています。