【 佳 作 】

【テーマ:私がやってみたい仕事・働き方】
"ありがとう"を伝えたくて
埼玉県 上岡愛 23歳

私がこの仕事・働き方を決めたきっかけは、過去の大きな後悔から成る。7年前、高校生になった私は、新生活に気持ちが舞い上がっていた。次第に学業は二の次になり、遊び呆ける毎日を送っていた。そして、気づけば大学受験の時期になっていた。周りはすっかり受験モードになり、流されるように受験勉強を始めた。予備校に行きたいと、両親に頼んだのはちょうどその頃だった。高校生活をあまりにもやりたい放題過ごした私を、家族はみな、許してはくれなかった。「学校でまともに勉強しない人が、予備校で大学受験を頑張れるはずがない」そう突き返され、相手にしてもらえなかった。私が何を言っても認めてもらえず、悔しかったし、悲しかった。そんな中、唯一父だけが、私にチャンスをくれた。「本当に、受験頑張るのか?」という真剣な顔つきをした父に、「だから頑張るって言っているでしょ」と、私は自棄になって答えた。予備校に通うことになり、受験勉強はある程度頑張ったが、精一杯努力をしたとは言えなかった。心のどこかに、きっとどこかには合格するだろうという甘えがあった。しかし、結果は散々であった。唯一合格した先は、俗にいう「滑り止め」の大学であった。大学受験の敗北感を味わい、劣等感でいっぱいだった。同時に、父が汗水流して働いて稼いだお金を無駄にてしまい、私を信じてチャンスをくれた父に申し訳ないという罪悪感がのしかかった。父に合わせる顔がなかった。そんな時、父がこんな話をしてくれた。「お父さんの親父はね、自分には一切贅沢をしなかったけど、子供の学業には惜しまずお金を使ってくれたんだよ。だからお父さんも必死に学業を頑張ったな。今こうして自分も親の立場になって、親父のように、お父さんも出来る限り子の学業には協力したいと思っているよ」その時私は、大学受験を精一杯張れなかったことを、ひどく後悔した。せめてこの先の人生は、父の想いを無駄にはしたくないと思った。そして、父に恩返しをしたい。心からそう思った。大学入学後は、とにかく沢山勉強した。真面目に勉学に励み、人から馬鹿にされることもあった。それでも私は人よりも何倍も努力をした。「大学生活を全力で頑張った」そう胸を張って言うことが出来るくらい、充実した日々を送った。それから四年が経ち、卒業の時。そこには成績優秀者として表彰される私の姿があった。高校の頃のでたらめな私は、もういない。大学生活の4年間を頑張ることができたのは、「父に感謝の気持ちを伝えたい」という一心であった。そして23歳になった今、信用組合業界で勤める父の背中を追いかけて、私も信用組合で働いている。うまくいかない事ばかりで、弱音を吐きたくなる時もある。しかし、「父に感謝の気持ちを伝えたい」この想いが原動力となり、私は今日も、前を向いて働いている。私がこの仕事、この働き方を決めたきっかけは、紛れもなく、尊敬する父の存在が大きい。もしかしたら単なる自己満足かもしれない。それでも私はこの気持ち忘れずに、これからも頑張り続けたい。そして伝えたい。「お父さん、ありがとう」

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