【 佳 作 】
夢もなく働く人生に何の価値があるのか、その先に幸福があると僕は思えなかった。
生きるということは夢を持ち、それを叶える為だけに邁進することだと思っていた。
18歳の時、芝居脚本家を夢見て僕は上京してきた。アルバイトをしながら脚本の学校に一年通うと、小さな劇場を紹介され、そこで作家見習いとして働けるようになった。
夢への第一歩を踏み出せたのだが、見習いという立場は交通費しか貰えない。夢の為に仕方のない事だと僕は考え、親に仕送りを要求する生活となった。
毎日好きな事をやれてはいたが、20歳になった時、自分の現状に疑問を抱いた。自分勝手に好きな事をしているのに、親に迷惑をかけていいのか、もう大人なのに自立ができていない自分は、夢を言い訳にして甘えているだけではないのかと思い、夢があると吠える前に、まずはしっかりと独り立ちするため、僕は作家見習いを辞めた。
劇場から去り、再びアルバイトを始め、自立するための暮らしが始まったわけだが、脚本家への道を順調に進んでいた時と違って、創作する時間を削り、生活の為だけに働くのは、空虚なものに感じた。
なぜ好きな事だけをやりながら生きていけないのだろう、といった疑問が頭を埋め尽くし、自由に生きていけない社会に不満を募らせ、働く意味を見出せない日々の中で創作意欲も無くしていき、生きる気力すら無くしていった。
そんな精神状態に光が差したのは、成人式へ出席するため2年ぶりに帰郷した時のことだった。
久しぶりに会った両親は、上京する前と比べて明らかに老けており、友達は大人びた雰囲気を醸し出していた。
僕の友人は高卒で就職した者が多く、仲の良かった友達の一人は名古屋の工場で働き、もう一人は自衛隊へ入隊していた。僕の両親は「仕事は辛い」とよく愚痴をこぼしていたが、彼らもまた、同じことを同窓会で語っていた。
夢もなく働く人生に価値など無く、その先に幸福はない、僕はそう考えていたが、愚痴をこぼしながらも働いて得た給料から、幼い弟にお年玉をあげている友達の姿はとても幸せそうだった。そして僕の母親から聞いた話だが、もう一人の友達は、大学進学を勧める母親に、「進学は金が要るから自衛隊に入る。今度は俺が働く番だから安心して」こう告げたらしい。井戸端会議で彼の母親は泣いていたそうだ。
自分のみの幸せしか考えなかった自らの浅薄さに気付かされた。
不満ばかりで鬱屈した精神は晴れ、僕の心に感謝が生まれた。最高の友達と、彼らとの出会いをくれた社会、今まで大切に育ててくれた両親を、僕は心から、大切に想えた。
夢から遠ざかり、生きる気力を失くしていた僕を救ってくれたのは、真逆の道を歩んでいるはずの、夢を持たずに働く人達だった。彼らは毎日大切な人の為に働いている。大切にされた人は、その人に社会で働く意味と生きる気力を与えていた。お互いを大切に想い合うことを、人生の価値としていた。
成人式から2年が経つ。
僕は働きながら、一日の空いた時間に創作活動を行っている。社会的地位もお金も持っていない。しかし、応援してくれる家族に友人、非正規ではあるが一人で生活し、納税と勤労の義務も果たせて、友達の娘に、絵本をプレゼントできるくらいの給料を貰える職場に加え、脚本家という夢まで持ち続ける事ができている。
僕にとって働くことは、恩返しだ。労働意欲には仕事内容も大きく関わってくるだろうが、意欲を生む源を感謝にすれば、好きでない仕事でも、自分を見失わず、謙虚な気持ちで働けると学んだ。
自分は脚本家になると決めている。非正規でも正規雇用でも僕の働き方は変わらない。夢の為、大切な人の為、働ける事への感謝の念を胸に抱き、今日も僕は仕事へ向かう。