【 入 選 】
帰宅して、ポストを開けると、見慣れた封書が投函されていることに気付いた。「日勤協」の文字が目に入り、「ああ、今年も夏が来たのか」と思った。日本各地の何百、何千の方も、今、働くことについて考えているのかと思うと、すごく素敵だと感じた。
医学部に通う学生の自分が社会に出て働き始める日まで残り2年をきった。このエッセイ応募に参加し始めて早3年の月日が流れ、『働くってなんだろう』という問いかけに対する考えも深まってきた。この春から病院での学生実習が始まった。働く先輩医療従事者を実際に目にする日々を過ごしている。そこには、もちろん自分と年の変わらない若者の姿があり、研修医として経験を積んでいる先輩や、今年大学を卒業し一足先に働き始めた自分と同い年の看護師など、日々の不慣れな職務に、悩み苦しみながらも気概に満ちあふれた姿で、現場に立っている。
しかしながら、一方で、年度が変わってまだ3か月ほどしか経っていないが、全国には、すでに仕事を辞めてしまった新卒の医療従事者も少なくないと聞く。念願だった職場を去る理由は様々らしいが、昼夜を問わない職場環境の苦しさや、命に関わる仕事への重圧などが原因ときく。若者が仕事をやめていくこれらの理由は、どの職業にも共通してよく耳にすることだ。
こういった話を耳にしたとき、自分だったらどうかと考えられるようになった。
昼夜を問わない職場環境の苦しさという肉体的な辛さと、職務を任されることへの重圧という精神的な辛さ、どちらも、自己犠牲の精神を持って仕事にあたることができるかということにつながると思う。犠牲を払ってまでして働くってなんだろう、と思った。将来、自分は自己犠牲の精神をどのくらい持てるのだろうか。だんだん、だんだん、不安と仕事への悪いイメージが積もってきた中で、ふと浮かんだのは、知り合いの医師がしてくれた、医療をアンパンマンになぞらえた話であった。
「アンパンマンは、自分の力が半減すると分かっていても、おなかの空いた人たちを見捨てず、自らの顔を差し出して守る。残酷と批判されるかもしれないけれど、本当のヒーローというものは、決して格好よくないし、そのために自分自身が深く傷つくものだと生みの親である、やなせたかしさんは言った。医療という仕事は、患者さんに自分の顔を食べさせ続ける仕事だと思う。自分が深く傷ついても、自分の正義に忠実に、笑顔で患者さんのもとへ通い続ける。そのためには、この仕事に誇りを持ち、なにより、この仕事が好きでないとできないと思う」
この話を思い出したとき、はっとした。どんな職業であれ、いい仕事を続けていくために大切なのは、自己犠牲を払ってでも働かなければならないという「義務感」ではなく、その仕事を全うできるならたとえ自己犠牲を払ってでも構わないという「思い」と「誇り」だと思う。自分は、機械のように職務をこなす働き方はしたくない。その仕事の辛さ、苦しさ、悩ましさも含めて好きになり、その仕事に自分が携わる意義を自分自身で見出し、誇りをもって自分と誰かのために働きたい。
働くってなんだろう、と今一度、自分に問いかけてみる。私にとって、それは、誰かにとってのヒーローであり続けることなのだと思う。もしかすると、仕事を辞めたくなるほど辛い日が自分にも訪れるかもしれない。やっぱり、すごく、すごく不安なその気持ちに変わりはない。それでも、自分が目指す働き方がはっきりした今は、なんだかんだ言って自分は、選んだ仕事を好きなことに気づき、誇りと愛着をもって、その辛さと正面から向き合い乗り越えていける、そんな、なんとなくではあるが、しかし、確かに存在する自身を感じる。