【 入 選 】
日本人街の真ん中で「ばんざーい!!ばんざーい!」という掛け声とともに、胴上げをしてもらった。平均45歳の酔っ払いのおじ様に胴上げされるのは、嬉しい反面、怖かったと思い出しては笑いがこみ上げる。これは、2010年から約4年間に渡り、中国の日系企業で現地採用として働いていた私が、日本採用となり、帰国が決まった時の送別会の光景だ。この胴上げにはライバル会社の方も、私のお客様も、お客様ではない方も集まってくださっていた。胴上げこそ、この1回だけだったが、20日間で50人以上の方に送別していただいた。こんな30歳の女性はそういないと自負しているが、海外で仕事をしていたからこそ味わえた幸せだったと思う。
元々私は大学卒業後、日本の証券会社で働いていた。しかし就職した翌年にリーマンショックが起こり、負のスパイラルは私の心をも蝕んだ。心の曇天に光が射したのは、二桁成長を続ける中国の記事を目にした時だった。そして「活況を呈する中国で働き、バブルというものを味わってみたい」と思った。何より「一度きりの人生だから、悲観しながら生きるよりも、積極的に行動して後悔なく生きたい」と思った。だが希望してすぐに駐在員として海外に行ける可能性は高くない。そこで、現地採用の道を選び2010年から中国の日系企業の現地法人で営業として働きはじめたのだった。
中国に来てからは「なぜ中国にいるの?」という質問に幾度となく答えたが、その後の反応は様々だった。「すごいね!」と言ってくださる方もいたが、「日本で使い物にならないからこっちに来たんでしょ?」「安い給料でよくやってるね」「こんな所で働いて今後どうするの?」とおっしゃる方もいた。実際の所は、給与面にも、生活にも満足していたので、そういう意見を聞く度に「日本を出て、中国で働くことはそんなにおかしなことなのだろうか?」と疑問に思った。確かにキャリア形成において、大卒から同じ会社で働き続ける同世代に後れを取ったが、現地採用として海外で働いたことを後悔したことは一度も無く、むしろ行って良かったと思っている。
まず、私が働いていた会社では、中国駐在は登竜門となっており、仕事面、人格面でも尊敬できる駐在員が多く集まっていた。どのように資料を作るのか?どのようにプレゼンすれば響くのか?どうすればお客様に愛されるのか?身近に肌で学ばせてもらった。
次に、海外では「日系企業同士、頑張ろう!」という日本人の結束感があり、まるで村社会のように、人と人との繋がりが強かった。そこから、日本ではお付き合い頂けないような企業に取引を頂けることもあった。年齢、性別、出身地を超えた出会いの一つ一つが、胴上げの思い出とともに私の一生の宝物だ。
そして中国人と働くことで、多様性を受け入れられるようになったと思う。最初は価値観の違いから、中国人の同僚に怒り、文句を言うことも多かった。しかし互いに妥協点を探り合いながら、「世界の常識、日本の非常識」があることも気づかされた。そこから「海外で仕事をするには、単に語学力だけではなく、相手の意見にしっかり耳を傾けること、そして時に自分の意見を明確に伝えることが大切なのだ」と身をもって学べたことは、日本以外の国の価値観で、自分を見つめ直せたからこそだと思う。
挑戦と不安は常に表裏一体だ。しかし難しく考えずに、行動をしてみると、新たな世界や自分に出会うことも出来る。私にとってはその一つが、中国の夜空に舞った胴上げで、意外に中国の夜空に輝く星があるのだと気が付いたことだった。