【 入 選 】
貧困や病に苦しむアフリカのリベリアやルアンダの子どもたちが、身の回りの問題について自ら撮影した写真の展覧会を観て、中学生だった私は初めて彼らの国の現状を思い知らされた。それが途上国の子どもや高齢者に目を向けるきっかけとなった。
写真が訴えていたのは、貧困やマラリア予防、環境、子どもの権利など、それまで私が意識することさえなかった問題だった。リベリアとルアンダは子どもの生存と発達指数が世界でも最悪な国のひとつである。飢餓とマラリアに直面し、エイズなどの病からも生命を脅かされている日々の暮らし。そんな悲運を乗り越えようと、大人も子どもも共に家族が一丸となって懸命に働き、そして耐え忍ぶ。それでもなお、将来への幸せの手がかりをつかみきれない現実。写真に写る子どもの瞳は、貧困や病にもがき苦しみながらも、毎日を静かに、しかし強く生きようとする身体の温かみを語っていた。私は、そのとき以来ずっと、これを遠い国の哀れな出来事として片づけてはいけないと思っていた。
その後、私はJICAの研修視察でベトナムとフィリピンを訪れる機会を得た。どちらの国でもスラム街では子どもや高齢者が、つらい現実から目を離さないで、果敢に日々の困難に立ち向かって生きていた。貧困や病の問題が、写真展で目の当たりにしたアフリカの子どもたちだけの問題ではないことを改めて知った。そして、生きることに真摯に取り組むその姿に私は勇気を与えられた。
途上国の貧困や病の問題を解決するためには、公衆衛生の徹底や公共の健康を推進していかなければならない。その実現を医学生の私は将来医師になってからのひとつの目標と考えている。私が尊敬してやまない後藤新平は、明治から昭和に至る激動期に医師そして官僚としても活躍し、『人の生を護って生かしていく』を信条としていた。これは「軍事のために役立ついのち」という考え方の対局にある「人の尊厳を認める」ということであった。「人のお世話にならぬよう人のお世話をするようそして報いをもとめぬよう」とした「自治」と同様に「公共」の精神を具現化したのが、個人のみに留まらない公共の健康への貢献であった。公共の健康を維持するためには、予防医療が要だと私は思い至った。
国内に目を向ければ、今現在、支出の最大のものは、社会保障関連費である。今後、高齢化が加速していくなかで医療や介護、福祉などの社会保障関連費は増加の一途をたどると想像できる。病気になってから大きな医療費がかかってしまうことにならないように、健康に配慮しながら、病気を予防することは必須だ。また高齢になってもいきいきと生活できることは、医療費の問題というよりも生きがいのある人生を全うするために大切なことだ。長寿国日本が世界の手本となることを実現する一助を私は担いたい。
日本は医療技術のみならず、「生きる」ことを支える医用材料や医用工学機器についても世界に誇れると私は確信している。再生医療など先端医療に大きく貢献する画期的医用材料や工学機器は難治疾患の多くに希望を与える存在である。しかしながら、最先端のそれらが備わっているからと言って、万全だとは言い切れない。病による苦痛は人それぞれだ。医療のサービスを受けるときに、人が最も得たいものは安心だと思う。いまの医学の力では、病を無くすことはできないが、病から人を救うことはできる。そして、患いや憂いから救い上げるのは人の力だ。病んでいる人に寄り添いながら、その痛みを分かち合う思いこそ、人の不安を解消し安心へと導く力になる。私は、忘己利他の精神で向き合える医師になりたい。宗教、民族、国境の壁を越えて、いに協力しあいながら、平和な地球を守っていくことが次世代を担う私たちの使命だ。病と闘う他者を救うために私ができることは何か?を自らに課した働き方こそ、私がやってみたい仕事そのものである。