厚生労働大臣賞

【テーマ:世界と日本−海外の仕事から学んだこと】
うんと強く
香川 秋山瑞葉 23歳

丸2ヶ月かけて取り組んだ事業が、機械の不具合で頓挫した。誰が悪いという話ではないからこそやるせなく、私は仕事への情熱を損なってしまった。随所に頭を下げ、会社も幾許かの損失を被り、そして膨大な後処理を終えた後、同僚はビールを片手に笑った。明日からまた頑張ろうよ、と。

私は、同僚の士気に賛同することができなかった。逃げるように有給休暇を取り、異国を訪れた。そして街中に満ちるフィリピン語にも慣れ始めた頃、一人の少年と出会った。

現地ガイドさんが運転する車に乗っていた時だ。信号待ちの間に裸足の少年が駆け寄ってきた。首から提げた箱に、CEBUとペイントされた色とりどりの貝が並べられている。年端も行かぬ子どもが学校にも通わず物売りをしている風景に、この国ではよく遭遇する。ガイドさんは追い払うように手を振ったが、私は彼の姿から目が離せなくなった。少年の身なりは貧相でひどく痩せているにも関わらず、目はギラギラと生命力に満ちていた。
「オミヤゲ!スーベニア!」

少年は車を降りた私にまとわりついた。紐を通してあるからネックレスにもなるよと商品を掲げて見せる。なかなかの商売上手だ。商品も想像よりしっかりした作りである。

あなたが作ったの?と尋ねると、頷いて近くの家を指す。彼の住まいらしい。軒先に貝が集められた箱と、絵の具のような物が散らばっていた。そんな風景の傍らに、吊るされたぼろぼろの土嚢袋。あれは何?と尋ねると、彼はファイティングポーズを決めて、白い歯を見せた。

アレンと名乗るその少年はまだ九歳。フィリピンの英雄、マニー・パッキャオ選手に憧れているという。
「お父さんにボクシングを教わっているの?」

ガイドさんに通訳してもらった直後、私は後悔した。アレンがほんの一瞬だけ目を伏せたからだ。幼い彼が物売りをしている理由を垣間見た気がして、慌てて質問を変える。
「どうしてボクサーになりたいの?」

今度はこちらを真っ直ぐ見据え、言い放った。強くなりたいから、と。強くなったら家族を守れるし、お金持ちにもなれるから、と。そして彼はこう続けた。
「ボクサーになるにはお金が必要だから、頑張って働いているんだ」

私は胸が熱くなった。アレンの夢が、彼の意思の強い瞳が、太陽の下で輝いていた。彼にはやるべき仕事も、叶えるべき夢もある。そろそろ立ち去ろうと思い、私は財布を取り出した。

フィリピンで最も高額な千ペソ紙幣。といっても日本では二千円くらいだ。差し出すと、アレンは目を白黒とさせた。貝が五つ売れても一ペソに満たないので、普段なかなか目にしない紙幣なのかもしれない。彼は困ったような顔でノーと呟いた。ここにそんなお釣りは無いよ、と。

私は笑ってアレンの手に紙幣を握らせた。これはプレゼントだよ、と。旅先の高揚もあったのだろう。本物のサンドバッグを買う足しにでもしてほしかったのだ。

彼は固い声でノーと繰り返した。今度は困惑ではない、はっきりとした拒絶の「ノー」だった。こちらを睨むその目が語っていた。「施しは受けない」と。

度を越えた羞恥に襲われた。私は足長おじさんにでもなったつもりで、アレンの夢に値段を付けたのだ。彼は夢を叶えるために、誇りを持って仕事をしているというのに。

私はアレンに失礼を詫び、紙幣を引っ込めて硬貨を出した。彼は不機嫌な様子で貝を十個包むと、それでも私にサンキューと言って手渡してくれた。

別れ際、せめてものお詫びにとアレンにキャラメルを差し出した。一粒で300メートル走れるというあれだ。うんと強く、うんと逞しく成長してほしい。おこがましいかもしれないがそんな願いを託した。アレンは早速一粒口に放り込み、その甘さに笑顔をこぼした。

帰国した日、居ても立ってもいられず会社へ行った。定時はとっくに過ぎていたが、皆仕事に励んでいた。私はスーツケースを引き、日に焼けた自分を心底情けなく思った。貧しさに負けず、夢の為に貝を売るアレン。不条理な座礁に腐らず、働き続ける同僚。本当にごめん、としょげる私の肩を、今から手伝ってくれるんだろ、と同僚が叩いて笑った。

労働にはいつだって、疲労や無気力が付随する。そんな時私を支える味方が、帰国して以来デスクの引き出しに常備されるようになった。行き詰った時は一旦仕事の手を止めそれを味わう。私を、異国で夢を追う少年を、うんと強くしてくださいと、甘いキャラメルに願いを込めながら。

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