【 努力賞 】
【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
育てよう学校の孫達を
茨城県 久松けい子 78歳

Dear久松先生

今までお世話になりました。僕達3年生です。先生は週2日しか来られなかったので一寸寂しかったです。 でも親身になって相談にのってくれた事は覚えています。時には泣いたことも、怒ったこともあるけれどその都度先生は話し相手になってくれましたね。色々と煩わしいこともあったでしょう、そんな3年生も今日卒業です。僕達をここ迄育ててくれて本当に有難う御ざいました。 N男

久松先生へ ピアノの発表会には、わざわざ見に来てくださり有難う御ざいました。色々と話していただきとても心に残っています。高校に行ってからも先生の言葉を思い出しながら、楽しい高校生活を送りたいと思います。又、何かにつまずいた時は相談に行きます。 A子

1年生、2年生の時は悩みを聞いていただき嬉しかったです。先生と話しているうちその悩みの解決法に気づきました。「人に話してみたり、視点を変える事も大事よ」泣いている私にあの時先生はそう教えてくれましたね。だからもう大丈夫・・・・。3年生になってからは楽しいことが多くなりました。時々あの時のことを思い出しては友達にも話しています。この調子で志望校をめざし頑張ります。そして何時か先生の様な仕事につきたいなあ・・・・と思っています。 M子

私は今、公立中学校の心の相談員として、週2日地元の中学校に勤めている。この制度は社会環境が日ごとに希薄化し思春期にある子供達が、自らの心情吐露する場が乏しくなりつつある現状を危惧し市が平成11年より公立中学校に「心の相談室」を開設した。そこで中学生の抱く不安や悩み、ストレス等を傾聴する相談員を配置した。長い間養護教諭として勤務していた私は、早速行政から相談員の依頼があり快諾した。

現職時より年々仲間関係に躓き孤立化する生徒がめだってきた。その結果登校を渋りひきこもりとなる。 このくり返しでは自らの感情をコントロールする体験をしないまま成長する。それだけは避けなければ社会人として自立出来ない。そんな思いで係り続けてきた不登校気味の生徒数人との学校生活・・・・。「卒業式は共に入学した友達と同じ雰囲気の中で堂々と卒業する」それが私との約束だった。そして迎えた卒業式、明るい笑顔で卒業証書を手にする姿に安堵した。ほっとしながら相談室に戻ると既に生徒達が待っていた。
「約束通り卒業式に出たよ、ほらね」と卒業証書を掲げ冒頭のメッセージを手渡してくれた。「おめでとう。この調子で行こう!!」の声かけに「わかっている、やるよ!!」の声が届く。そこには我が子の姿を笑顔でみつめる母親(現職時の中学生)達の姿もあった。

あれから既に十数年、喜寿を迎えた今も多くの孫達との交流が続いている。「私達が卒業しても、先生はずーとここにいてね」「何時訪ねてきてもお話出来るように・・・やめたらボケるよ。わかった」と厳しい言葉が交わされる様になった。でもこの会話こそずばり私の健康維持への教訓と受けとめ大きく頷いた。

半世紀前学校に勤務しながらの子育て、その上姑の入院という事態に陥り退職を願い出た。ところが私の話に耳を傾けられていた学校長から「主旨はわかった。全職員で先生へのサポートを試みたいのでこのまま勤務を続けてほしい」との言葉がありびっくりした。私事なのになぜそこ迄と・・・・。あの時得た感動は忘れられない。

今私に出来ることは、体力の続く限り学校で待つ孫達との交流だと思う。これがかつて受けた恩返しの一端になればと思い今日も子等の待つ相談室へと歩き続けている。

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