【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
雑草にも未来を!
千葉県 渡会三郎 64歳

「口止めされてるんだけれど――」と、夫婦そろってメタボ腹をへこますためウォーキング中、妻が歯切れの悪い言い方をする。
「半年前に違う会社に移っていたんだって」
転職を繰り返す息子。今度は以前勤めていた会社の上司が起業し、そこから声が掛かったのだという。「小さな会社で厚生年金の制度がまだないらしく、あの子の老後が心配で」とこぼす妻に私は楽観的に構える。
「あいつも女房、子持ちの35歳、今が正念場だ。大丈夫、働く意欲さえあれば何とかなる」

……幼児の頃、難病で三途の川を渡りかけ、ストレッチャーで手術室に運ばれるとき、「ボク、ガンバルカラネ」と土気色の顔でか細く呟いた息子を私は忘れたことがなく、ただ生きているだけで親孝行と思い続けて来た。だから、「30歳まで俺の好きなようにさせてくれ。お金の迷惑はかけないから」とミュージシャンへの夢を追って、バイトで稼いでは全国をバンド仲間と渡り歩いているときも黙って見守っていた。木枯らしが吹きさらしの建設現場でのガードマンのバイト、バンド活動用の雨漏りのするオンボロワゴン……29歳で音楽に見切りをつけ、やっと定職に就き、妻と二人安心していたら、勤める会社が次々に倒産やら、リストラやら、賃金不払い……。
「今はともかく老後、国民年金だけではまともな生活は出来ないのよ」なおも案じる妻を叱る私。
「その時はその時、時代は変化する。――日曜日、御馳走してやるから来いとメールを送れ」

今回の息子の転職に落胆よりもむしろ賛成の気持ちを抱いたのには孫の笑顔がある。
「仕事から帰ってくるたびに子供にまで憂鬱な顔を見せるのがつらい」と、嫁の表情が暗くなったことは一度、二度ではなかった。その息子が転職後、嫁に言わせれば、「ルンルン気分で仕事に出掛けるし、子供を猫可愛がりするようになった」という。
「それだったら上出来じゃないか」と笑う私にやっと妻も頷く。
「しかし、何故あいつ、俺に隠そうとするんだ」
「あなたを心配させたくないのよ。出来たばかりの会社でまだ目処が立ってないから。ただ、給料はきちん ともらっているそうだから、取りあえずは生活出来るって」
「いずれにしても張り切って仕事をしているのならそれで良し。最上級の松阪牛で転職祝いでもするか」

我が息子に限らない。教師という職業柄、卒業した教え子達の動向から人口減少・少子高齢化にともなう就業形態の多様化、勤労者意識の変化等々「働くってなんだろう」と考えさせられること、教えられることは少なくない。彼等は私にとって社会の動き、若者達の働く現場を生で伝えてくれる窓なのだ。

就職氷河期の頃、働くということは単なる生活の手段でも金儲けでもないと自分探し、自分に合った仕事探しの教え子達に何を贅沢なと反感を覚えた私。けれど、それは食うために転職を繰り返した経歴があるとはいえ、今は公務員という安定した職に就いた私の傲慢な見方であったかもしれない。

夫婦二人で歩く道端の小さな雑草(教え子の多くはこちらなのだ)の花を見て切に願う。職業に貴賤なし、 汗して働く者に、例えば生涯の労働時間に応じた年金のような制度が出来ないものかと。雑草だって、豪華な薔薇や蘭と同じように精一杯咲いて、未来に種を残そうとしているのだから。

今、息子は休日出勤もある長時間労働の会社に嬉々として通勤している。

戻る