仕事からは引退して一年が経つ。57歳なのでまだ働くことは出来るし働かなくてはいけないとも思う。でも何のために働くのか?実は学生の頃は少しも考えなかった。当時、それは1980年代になったばかりだったが、どこかの会社に就職することは当たり前だった。就職しないなら実家を手伝うなり起業するなり、とにかく働くことは当然であった。フリーターやモラトリアムという考えもなかったし、働かないで自由にしていられるのは金銭的な余裕のあるものだけの特権だった。働くことが当たり前の時代に欠如していたもの、それは働くことの自分にとっての意義だった。仕事って何だろう、自分は何をしたいのだろう、なんの意味があるんだろう、そんなことは考えなかった。何十年も働いて、私の場合はそれを振り返ると楽しかったと言える。もちろん辛いこともたくさんあったが、振り返って総じて見れば、楽しかった。なぜなら世界中を出張で飛び廻れた。自分の仕事の結果が商品となって売れた。利益も生み出した。世界中のたくさんの仲間と知りあえた。目まぐるしく過ぎる毎日もそういう成果を生み出すだけで十分だった。残業や出張が多くても若い身体はすぐにリフレッシュしてくれたし。健康を気にすることもなかった。
そういう仕事から引退して今思うこと。仕事で大きなつまずきもなく、そつなく何十年も過ごして引退した。そのことは立派か?実はそんなことを振り返りはしないのだ。むしろ、結婚して子供が生まれたときも相変わらず仕事ばかりしていた。息子の顔はいつも見たかったけれど、海外出張中は忘れていた。息子が大きくなり、自分の人生から何をアドバイスできるだろう?そう振り返り考えてみると、明らかに思うことがある。自分の生活、プライベートな生活と仕事とのバランスをとるべきだ。人をちゃんと愛すことを忘れるな。親、兄弟、親戚、学生時代の友達、妻、子供。そして一緒に会社にいた仲間や先輩後輩、こうした人たちとの繋がりが自分を支えてくれていたことを改めて認識するからだ。身内などは特に普段は何も気にしていないが、自分にとっては特別な関係であることを改めて知るのだ。
若いころは、自分を見失うな、というのは理解できても、実は仕事のほうが重要で、夢中になれて、結果的にそれ以外のことを気にも留めないということがあるということだ。これを考える問いかけは一つ。今仕事がなかったらあなたは何を大切にしますか?周りにいる「人」でなくても良い。趣味でも道楽でもたしなみでもいい。何を大切にするか。それが翻って仕事って何かを考えるきっかけになる。
自分がいなくても仕事は誰かが代わりにやってくれる。しかし自分がいなかったら自分が大切にできるものは消滅してしまうのだ。その大切なものとのバランスをいつもとりながら仕事をするべきなのだ。仕事から学んだのは、仕事をなくした時に居る自分とは何か、ということ。今はそんなことを考えずに、ひたすら仕事に打ち込もう、とつい思って過ごしてきた。ちゃんと考えるべきだ。そして家族や仲間を、自分の大切なものを、愛することだ。それがあっての仕事だということを忘れないこと。
若いうちはやり直しもきく。自分とは何かを考え、自分を信じ突き進むことだ。