初めて私が高校教師として高一の担任を持った今から25年前。クラスに、やや暗い影のあるK子が入学した。彼女の母親はK子が5歳の時、自分の姉に彼女を預け行方をくらました。父親は赤ちゃんの頃に蒸発していた。そのことがその要因の一つとなっていたのかもしれないが、彼女は、場面緘黙(ばめんかんもく)になってしまった。家庭では普通に話すことができても、学校では全く話すことができなかった。もちろん私にも口を開くことはなかったが、私が顧問をしている部活(サッカー部)のマネージャーになってくれ、身振り手振りで、一生懸命部員の世話をしてくれた。心配だったのは、緘黙のため他の生徒から見たら「無視された」ととられる場合もある。実は私の学校は刑事も立ち入る生徒指導困難校で、女子のヤンキーグループから目をつけられていた。
しばらく平穏に過ごしていたが、ちょうど梅雨入りした直後、K子は突然学校に来なくなった。私はやはりヤンキーグループから何かされたなと思った。早速、K子宅に電話を入れると、どうも家出をしたらしい。 母親代わりをしている叔母が言うには、自分がつい先日結婚したことが原因ではと嘆いていたが、その後、全くの音信不通となってしまった。
ところが、それから一週間後、夜中の12時過ぎに突然電話が鳴った。(何時だと思っているんだ)と眠い目をこすりながら受話器を取ると、
「先生、夜分遅くすいません。K子です。学校を長い間、休んですみませんでした」
初めて聴くK子の声。突然のことに多少気が動転しそうになったが、即座にヤンキーグループとの関与を聞くとそれはないという。私は一瞬胸をなでおろしたものの、いろいろ聞こうと思った矢先、
「先生、無事に暮らしていますので安心してください。明日から毎日夜の9時過ぎに必ず電話します」
そう言うとすぐに電話を切ってしまった。その翌日より彼女は約束どおり毎日電話を掛けてくるようになったが、次第に打ち解けてきたのだろう。実は祖母の家にいることを告白してくれた。祖母はやや病気がちで足が弱く彼女が身の回りの世話をしているという。家出した理由はその祖母の面倒を見たかったからだそうである。結局そのまま祖母と暮らすことが決まりK子は、学校に復帰した。電話が掛かってきてからちょうど一か月後だった。初めてクラスに戻った日、なんと彼女の方から話しかけてきた。
「先生、今までご迷惑を掛けて申し訳ありませんでした。電話だとなんとなく話せたのですが、もう大丈夫だと思います」
彼女はその日を境にクラスメイトとも少しずつ話すようになり、卒業する頃には多くの友達を持つにいたった。
先日、20年ぶりに同窓会でK子と再会した。現在は看護師をしており、二人の子持ちである。会は立食になっており、彼女は誰とでも親しそうに話していたが、私を見つけると飛んできた。
「先生、お久しぶりです。高校の時は大変お世話になりました。先生、もしあのときのことがなかったら私はいまだに黙ったままだったかもしれません。先生に感謝です」
そう言うとK子は深々と頭を下げたあと、隣の卓の友人達の輪へ入っていった。
しかし今思うと本当に頭を下げたかったのは私だったのかもしれない。というのもあの頃は新採一年目で、様々な壁にぶち当たって教師を辞めようかと思っていた時期であった。そんな時、人と話すことの出来ない不登校のK子が私を頼ってくれ、おまけに学校に復帰し、コミュニケーション能力までついたことで私には大きな自信になっていた。それが心の支えになったからこそ、私は今こうして教師を続けてこられた気がする。感謝するのはむしろ私の方だったのかもしれない。