私は女性として生まれて51年間、三人の子供を育てながら、約30年間看護師をしている。
私の母は専業主婦であった為、私が子供の頃の生活は、食事やおやつが手作りであり、夕食の後のデザートタイムも、家族全員で仲良く、太陽の様に明るい母と頼もしい父と三人姉妹でおしゃべりしながら過していた。それは、母が家事を完璧にやり、いつも専業主婦として家事仕事を、鼻歌を歌いながら楽しくやっていたからだと思う。私も大人になったら、女性は家庭の中の仕事をやり、男性は家庭の外の仕事をやるのが当たり前であると思っていた。
看護師を目指し、勤労学生として働きながら看護学校に通う日々、最初の頃は辛い時に女性はステキな男性と結婚出来たら、のんびりした楽しく明るい結婚生活が待っている。辛いのは今だけだと思い辛抱出来たと思う。
しかし、自分が看護師として働くようになり、先輩看護師が結婚しても働き続け、子育てしながらもイキイキと働いているのに、とても驚いた。
看護師は夜勤があり、休日出勤や残業も多い為、家族はどうしているのだろうか?と疑問に思っていた。 私は25才で結婚した。26才と28才と33才の時に子宝に恵まれた。その時家庭の事情により、私が小さい頃から考えていた専業主婦にはなれず、常勤看護師として働き続けた。
大きな壁が、私の人生に何度もあった。そのたびに、先輩看護師に相談し、女性として家事や子育てをしながらの働き方のアドバイスを受けながら、家族にも協力してもらったので、ここまで働き続けられた事を、とても感謝している。今までの沢山のアドバイスの中で私が一番印象に残っている言葉がある。
「あなたは何の為に生まれて来たの?今は子育てと仕事の両立は大変かもしれないけれども、子供達はずっと小さいわけではなく、すぐに成長して大人になるのよ。手はかからず、お金が沢山かかるのよ。子供にいろんなチャンスを与えてあげたいと思わないの?今、あなたが子供の為に仕事を辞めて何が残るの?後悔するような人生はダメよ。私も協力するから一緒に頑張ろうよ」と励まされた。
そのアドバイスのおかげで私は今もなお、看護師として常勤で働けているのだと思う。看護師はハードワークである為、家族の夕食時間は遅い、手作りおやつも、私の休日以外は無理である。しかし、私自身の子供への愛情は世界一だと思っている。自分の時間と体力が許す限り、一緒に遊んだり、勉強したり、語り合ってきた。時々は、女性として主婦として、母として、私のようなハードワークが正しいのだろうかと不安になる。時間がとても早く過ぎるような気がして、毎日が目まぐるしく過ぎていく。
子供は、親の言う通りには育たず、親の背中を見て育つと思う。女性が輝ける働き方は一つではない。専業主婦でも家庭という仕事場で、一生懸命やっている姿は輝いて見えるし、尊敬出来ると思う。
私は母と違った輝ける働き方を見つけた。それは、小学生の頃読んだ伝記のナイチンゲールに憧れ、看護師の道を選び今もなお、女性として輝いて働いていると思う。そう思える理由としては、私が働きながら子育てした三人の子供のうち、二人が私と同じ看護師の道を選んでくれたからだ。一人は男の子であり、一人は女の子である。私にとってうれしい事であるが看護師の先輩として責任が重い。
私は51才である為あと何年間看護師として働けるかわからないが、笑顔で働いて行きたい。いつの時代でも輝ける働き方を、一人一人が見つけていく事が大切であると思う。