授業中、体を起したまま居眠りをする学生を起こす。なるべく興味のある話題を元に、文型作文や会話練習をする。そしてロールプレイ。
「〜ときたら」の学習では、学生同士が、
「○さんには困りますね」
「はい、○さんときたら、授業中、寝てばかりいます」
などと、居眠り学生をからかう。
「そんなに寝ていません」
名指しされた学生がすねる。クラス中から笑い声が上がる。
もちろん、こんなことばかりではないが、同じ学生ばかり何度も注意していると、もう帰国しなさい、と言いたくなるときもある。
私は約20年前に中国吉林省の大学で日本語教師をしていた。同僚のほとんどの中国人教師は来日経験がなかったため、話す日本語には不自然さもあったが、当時まだ駆け出しの教師だった私は、経験豊富な彼らが日本文化や日本語の知識に絶対的な自信を持ち、自分がただの新米教師としか思われていないように感じてなじめず、表面的なつきあいしかできなかった。現地の学生たちはみな国費留学を控えて熱心だったので、仕事自体は楽しかったが、教師たちとの間の壁は最後まで厚いままだった。
任期満了後の帰国の日、一人の教師が上海まで業務として見送りに来てくれた。彼女は、これから搭乗する、という間際に私のチケットを持ったまま、ちょっと待っていて下さい、と言っていなくなった。5分、10分…彼女は戻って来ない。当時は携帯もなく、広い空港で手荷物を抱えて私は途方に暮れた。もし乗り遅れたら、自費で帰ることになるのだろうか。その前に、今日のホテルはどうしようか。不安は刻一刻と増して言った。ついに最終搭乗のアナウンスが流れ始めた。
そこへ、彼女が走って戻ってきた。いつも冷静で、教師の中では一番優秀だと言われていた彼女が、額にたくさん汗を浮かべて手にしていたもの。それは、「維力」という名の、一本のスポーツドリンクだった。
「これ、前においしいって言ってたでしょう?空港の中になくて、外に行ってたから遅くなったんです。 …ごめんなさい」
息をきらし、恥ずかしそうに微笑んだ。日本には同じものがあるのに、彼女はそれを知らないのだ。私が伝えるべきだったのに。その瞬間、私はやり残したことへの後悔が波のように押し寄せ、涙が溢れそうになった。
あれから20年。私は日本で、高等教育を受けようとする留学生に日本語を教えている。先日「日本で印象に残っていることは何ですか」と学生にたずねると、ある学生が訥々とことばを選びながら答えた。
「毎日、多くの新しいことを知ります。そのほとんどが、今まで私の人生にはなかった考え…ええと、概念…です。初めはその量に圧倒されて、眠れないほどでした。でも、とても幸せです。なぜならば、私が得た知識が、母国の子どもたちの世界を広げると思っているから」
遅刻を注意したり、敬語が使えるようになったのをほめたり、恋愛の悩みを聞いたりもする。笑わない日も怒らない日もない。ただ、一方で、進学をめざすと言いながら居眠りをしてしまう学生の背後には、アルバイトをしなければ、生活費も稼げず、学費も支払えない、という厳然たる事実がある。その現実は日本語教師たちの指導を困難にし、学生を募集する日本語学校の経営者と、現場の教師たちの理想の乖離が進んでいる。それを悩まない日も、一日としてない。
私は昨年、留学生のための小さい事業を立ち上げた。日本語学校だけで対処できない進学サポートが主な業務である。協力してくれているのは大学に在学中の留学生たちで、いずれ彼らの母国で効果的な留学前教育ができるようなシステムを作ることが目標である。
一本のスポーツ飲料を探しに空港の外まで走ってくれた彼女へのお返しは、今日本にいる留学生たちが希望する進路に進み、日本からできるだけ多くの「維力」を持ち帰れるように力を尽くすこと。私は、そう決めている。