私は20代でコピーライターとして正社員で働き、30手前で退社し結婚、長男を出産した。男女雇用機会均等法以後の世代だが、書くことを仕事にしたい、と漠然と考えていた程度でキャリア意識は薄かった。自分の夢を実現することが働くことと直結していた。この方程式が変わってきたのは40を過ぎてからだ。脚本の公募や市民委員をしつつ、携わる仕事も変化した。子育て以外に両親が入院した時期もあり、郵便局の仕分け、出版の販促営業、病院の受付、と多彩な職種を経験した。細切れのキャリアをあらためて振り返ると、明るさ、元気さはもちろん、場を調整したり、和ませたり、人と人をつなぐ役割こそが自分に求められているとわかってきた。同時に、自分の色を客観視できるようにもなった、というよりも、自分の色が鮮明に、成熟してきたといえるかもしれない。相手が求めるものを先に発見し、提供していくことを優先して考えるようにもなった。
私は、おそらく、すべてにおいて遅咲きなタイプだろう。30の壁も35の天井も突き抜けて、気づいたら、女性の労働力を表すM字曲線の2つ目の頂上に立っている。これからだ!という仕事の手応えがある今はもう、世間の評価は下降線なのだ。これまでのキャリアがすべてであり年齡の壁は厚い。政府は女性管理職を30%に増やすことを目標にしているが、納得できるキャリア・デザインを描ける女性はそもそも少数で、女性の半数以上は非正規雇用だ。労働力として機能はしていても収入面や待遇面は厳しく、十分な条件でキャリアを続行できる女性はさらに少数になる。次のキャリアを得たいともがき、空を掴み続けるような感覚は私もなんども経験した。30代前半はそんな厳しい思いと子育てが重なって精神的にもアンバランスで焦ってばかり。"これを見よ"と印籠を手元から出せる女性たちとの格差はあらゆる面で感じてきた。大企業でキャリアを積んだ女性たちを高時給で派遣する新しい制度もスタートしたが、認められる水準までキャリアを獲得できなかった女性や、中小企業で活躍した女性たちにも能力はあるはずで、プロとしての評価と報酬を得るチャンスはすべての女性に開かれるべきだ。むしろ、そこにこれからの課題がある。
女性にも戦略は要る。マネージメントやコミュニケーション能力、人と人をつなぐ役割は女性が秀でているといわれるが、複数の人間を動かす要素やリーダーシップが加わると、母体の大きさに惑わされるのか、女性ならではの繊細さは壊れやすく効力を得にくい。逆説的だが"輝いている女性であれば、それだけで影響力は変わる"ことも頭に入れておきたい。50人と30分対話するには25時間が必要だが、"おはよう"の5秒であれば5分で終わる。これを可能にするのは"真実の人柄"であり、私は最近、人の影響力について"真実の人柄"という言葉で考えている。取り繕った笑顔や見返りを期待しての行動は意外とわかりやすい。
ほんとうに温かい笑顔であれば、伝わる速度は自ずと違ってくる。
今年4月、愛知県美浜町にある『杉本健吉美術館』を訪れた。57歳で初めて海外にスケッチ旅行に行き、99歳で亡くなるまで精力的に絵筆を握り続けた画伯に"真実の人柄"を見る思いがした。"どこにそんな強い力があるのか"と見入っていた来館者がいたが、"遅咲き"であったことも、すべてを描きたいと情熱をたぎらせることにつながったのではないか、と私には思えた。不足しているから前を見る、不十分だから挑戦を続ける。情熱をたぎらせる生きざまは、私の憧れであり、理想である。
働くことは一過性のものではない。成長があり、結果があり、次につながる道筋がなければいけない。社会が女性たちに十分な選択肢を用意し、女性たちがプロとしての力を磨き、選択し歩み続けていけること。 活路を見出した女性たちが今を生き始めたとき、未来は真実の輝きで満たされるはずだ。