【 努力賞 】
【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
半分ずつ願いをかなえる働き方
和歌山県 ぢだま 45歳

看護師の資格は、なんでも良いから手に職がほしいと思ってとった。働き始めてみると、自分でも意外なほど、のめりこんでいった。結婚して出産して、しばらくは専業主婦。

子供たちが保育所に入ってからパートとして再就職した。子どもが大きくなるにつれ、仕事を増やしいずれは正職になり、定年までしっかり働こう。年金ももらえるし、夜勤をすれば、教育費も賄えるだろう。退職 したら、それまでに勉強した事を生かして、シニア青年海外協力隊員になりたい。

正職になった途端、息子の調子が悪くなった。とても一人で家に置いておける状態ではなくなり、私は仕事を辞めることになった。病院、学校、カウンセリング、発達訓練、児童デイサービス…息子の居場所を、救ってくれる人を探して、あちこちさまよった。間もなく2年になる。

最近は、多くの人のおかげでだいぶ学校に行けるようになってきた。私は仕事を始めても良いのだろうか?

3か月の短期アルバイトを週3日始めてみた。働けることの喜び。給料が頂けることの有り難さ。口ぐちに仕事の不満を言い合う仲間を見て、私もそうだったなと思う。働けるってことは幸せなんだよ。

2か月が過ぎたころ、また息子の調子が悪くなった。この仕事は辞めても仕方ないと思える。(迷惑かけて申し訳ないと思うけど)でも、もう一度、病院を辞めることになったら、自分が耐えられない。仕事をしたいという願いと、息子を見てやらなければという思いが重なり、私の仕事の邪魔をする息子を憎らしく思う時さえある。身体が2つあればいいのに。

一人の私は、専業主婦で毎日時間をたっぷりかけて、アレルギーのある息子の食事を作ろう。普段は食べさせてやることのできないパンやピザ、ラーメン、パスタ、お好み焼きにタコ焼き…ケーキだって焼こう。息子が泣く時には、時間を気にせず、泣き止むまでそばにいてやろう。学校に行けない時には、外に連れ出して、いろんな物を見せてやりたい。二人で、旅に出てもいいかな。

もう一人の私は、病院の看護師として、バリバリ働き、緩和ケアの認定看護師になりたい。災害支援ナースの勉強をして、いつかはDMAT(災害派遣医療チーム)の隊員になりたい。

でも、私の身体は一つしかない。

1つしかないのなら、半分ずつ願いをかなえるしかない。仕事は週2〜3日。これ以上増やすことは考えない。息子の体調に合わせて、休みができるだけ取りやすく、迷惑をかけにくい所を選ぶ。障害のある息子が社会に出たら、どこで、誰のお世話になるかわからない。今のうちに、息子が少しでも暮らしやすい社会になるように貢献しよう。

国際交流協会の理事、社会教育委員、青少年育成町民会議委員、頼まれた事はなんでも引き受けた。児童館ふれあいルームの講師は9年目になった。小学校、保育所での英語劇は10年になった。子供たちと始めたピアノも8年になる。防災の活動も一目置かれるようになってきた。

全部やめてしまおうと思っていたけれど、続けていこう。看護師のプロにはなれなくても、希望通りの勉強ができなくても、劇をして、ピアノを弾いて、手芸や工作のできる看護師もいいじゃない。そんな働き方もいいかな、と思えるようになってきた。

天国のお父さんへ。

これでいいよね。

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