「派遣対応でお願いします」。派遣社員として働きはじめて数日後、パート女性(部門リーダー)の声が朝礼で飛んだ。「派遣対応って何?」。言葉の意味がよく分からなかったが、トラブルが発生し、通常の残業では対処しきれない事案のようだった。始業から19時までが残業の限度と決まっていたらしく、それ以降どうしても作業しなければ間に合わない場合に派遣社員にのみ声をかけ、「21時まで残業をしてほしい」。半ば強制だった。−これが「派遣対応」ということか。気付いた時には正社員・パートと見えない壁というか溝があるなと感じた。「派遣社員」ということにある種の抵抗はあった。特に08年のリーマンショック後の「派遣切り」「年越し派遣村」「雇用の調整弁」…。良いイメージを連想できる要素がなかった。しかし、病気がもとで離職し、その後の仕事探しに苦労した。切羽詰っていたのが事実。次第に気持ちが軟化し、「派遣」で働くことを選択した。
職場(派遣先)の工場長、部署の責任者は分け隔てなく接してくれ、「教育訓練」と称して業務で必要な道具の操作について指導してくれ、練習もさせてもらった。うまく扱えないと業務に支障が出るので、教育を受けることも仕事のうちなのだと知った。
ある日、最も手の込んだ作業を要する数万単位の製品に不良箇所が見つかった。通常業務をこなしながら、「手直し」作業をする。通常業務の残業もあり、「手直し」の残業もする。パート・派遣が21時まで。他部署の社員を交替で残業要員にして作業にあたれば事は簡単に運ぶのに、それをしないのは何故か?会社の一大事なのに、他部署のことは一切関わらないのか?不思議で仕方なかった。ところが数日後、終業時以降、他部署の社員が作業の手伝いに来るようになった。その間、パート・派遣は早出1H、残業4Hの過酷な労働を強いられていた。パートは作業する人が固定化し、出る人、一切出ない(出られない)人に二分。「派遣対応」と言わんばかり。"何かあった時"は優先的に時間外労働をし、通常作業で業務量が少なければパート分の仕事を確保し、派遣に対しては「午後から休んで」。「明日は休みになります」。まさに「調整弁」だ。「不安定な働き方」を危惧していたが現実となり、"派遣の宿命"を突き付けられた気がした。話が前後したが、何とか「トラブル」の手直しを完了し「早出残業」を乗り切った。
それから数週間後の始業前、体に異変が起きた。激しい頭痛。次の朝も自宅で同じような異変が起き、救急車を要請する事態になった。翌日、派遣元に、「仕事はムリです」→「ゆっくり休んで」。1週間後、「同じ状態です」→「早く治して一日も早く復帰するように」。2週間後、「今日出て来られるのか、出られないのか、どっちなのか」との声。「ムリです」。→「そのように対処する」…「これが現実」イタイ程痛感。何だったのか。「派遣対応」という言葉の意味は奥が深かった。オーバーワークがたたって欠勤。離職。私は消耗品か。
この経験から社会と職場に期待することは、
- ・直接雇用者との間の"見えない壁"をなくすよう配慮する(心理的・職場環境)
- ・残業はできる人がやる。(強制だと思わない雰囲気づくりが必要)他部署間でも人員の融通をし合って、交替制等1人当たりが平等に平均的な時間外労働になるような体制を可能な限り構築する。
- ・派遣を直接雇用に早期に切り換える。
- ・派遣であっても自由に発言できる社内環境、雰囲気づくり。(直接雇用でないため、どうしても「お客さん」、「働かせてもらっている」という"部外者"の念が強い)
何か起こった時に、「何だったのか」とポツリ呟く人がいなくなりますように。