【 努力賞 】
【テーマ:女性が輝ける働き方】
私の樹形図
鹿児島県 穂満泉見 40歳

まずは専業主婦になりたい。自分の事は家が落ち着いてから始めよう。これがかつて私の抱いていた目標及び人生設計でした。仕事が嫌な訳ではない。幼い頃からよく「家庭的な人だね」と言われていた事もあり、まずは適齢期で結婚して家庭に入り子育てが一段落してからパート勤めもしくは趣味の書道や製菓をいかして教室を開こうかとも考えていました。よく専業主婦は「そんなの全然仕事とは言えないじゃない」と敬遠されがち。確かに言われる通りで、今時の人間としては考えが古く又働いても直接給料が出る訳ではない。でも私から見れば専業主婦も歴とした仕事ではないかと思います。なぜなら家事全般と家庭教育といった一番重要な役割を毎日欠かさず担っている事ですし、それがあってこそ家族全員が仕事や勉強等それぞれの道に集中できるのだから。それに今の私達家族が在るのも、専業主婦として尽力してくれた母のお陰でもあるので、感謝の意味も込めて次世代にも伝えていきたく、だからこそ専業主婦への思いが強かったのです。そうして自分なりの明るい未来を想像し、叶うように努力していたのですが、残念乍ら30歳台で子宮筋腫を患い、全摘術にて子供の産めない体になってしまったが為に水の泡となり消え失せてしまいました。「何で私の人生はUターンばかりなのいつも…」と思い悩み、頭ごなしに否定されたというか粉々に打ちひしがれたという思いで一杯になり、それよりもこれから先長年仕事に生きる運びになる事など考えもしなかった私にとって今後の進路を考えるのは何よりも難しい宿題そのものでした。そんな私にこの間偶然勧められたテレビ番組「森光子の一生」。どことなく共通点が多い事に共感し、心の隅々まで響き渡りました。とにかく波乱万丈で、一度は勝ち取った結婚も敢え無く破局。それでも「俳優という退職金も失業保険もない職業の惨めさを自身の体に刻んでいる。だから仕事を断るなんて絶対にできない」との意思を抱き、92歳で亡くなる迄生涯独身と現役を貫き通したといいます。彼女こそまさしく「女性らしく輝かしい働き方」を成し遂げた方ではないでしょうか。随分と落ち込んでいた私でしたが、生きるそして働くヒントを頂けた様に思います。「決めた通りの人生をそのまま歩みたい」誰もがそう思い努力する事でしょうし、又遂に紆余曲折される事により思い悩む方も多いのではないかと思います。私もそうでした。明確な目標を掲げ、腹を決めて前進した筈が度重なる紆余曲折に遭う事で意に反する結果を生み出してばかりで散々悩まされました。しかし思い通りにならなく納得が行かなくても、いつかそれが必ず本人にとって意味のあるものに転じるのではないでしょうか。自身折角苦心して作り上げた進路を度々変更させられ、まだ何一つも達成出来ていないに等しい状態で現在に至っていますが、カウンセラーになりたいと言っていた20歳前後の頃を思い出しました。あの時は主観性が強かったので「いじめや嫌がらせを受けて苦しんだ分同じ悩みを持つ人達を助けたい」ただそれだけの思いでしたが、現在は福祉の仕事をする事により少しでもご利用者様の為に働きたいという目標に変ってきつつあります。10年20年それ以後の私はどういう仕事人生を歩んでいるでしょうか…。自己満足だけではなく、少しでも周囲の役に立てる様に頑張る自分として働いている事を我ながら祈り願っております。これからも様々なタイプの資格取得にどんどん挑戦してますます幅を広げていきたい。その為に近い将来通信制の大学にも入学することでしょう。専業主婦希望を断念し、子供への様々な援助や手間が省けた分私が頑張り、奇をてらわず嫌味にもならない、そういう自然で清々しいカウンセラーになり活躍したい。それが私にとっての「女性らしく輝ける働き方」であり、将来の樹形図なのだから。

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