今年2月中旬、かねてより頻尿の症状に悩まされていた私は、かかりつけの県南部にある総合病院を訪れた。
同病院は10年前にがんを患った時からのかかりつけで、血液内科で定期的に検査をしてもらっていた。ただ、泌尿器科を受診するのはその日が初めてで、行くと決めた前夜は、不安で眠れず朝は食事が喉を通らなかった。男性なら理解してくれると思うが、泌尿器科を訪れる際には、やはりどこか勇気を必要とするものだ。人には知られたくない悩みであり、なるべくなら避けて通りたいのが本音だろう。
10時過ぎに病院に到着した私は、受付を済ませ、泌尿器科がある三階へと向かった。指示された五ページに及ぶ問診票への記入と採尿、そして膀胱のエコーを撮影した。だが、詳しい結果と医師の説明は午後にならないと出来ないらしく、一旦私は気持ちを整理すべく屋上で時間を潰すことにした。
午後1時過ぎ、名前を呼ばれた私は診察室に入り医師の前の丸椅子に腰掛けた。緊張は既にピークに達しようとしていた。すると私の気持ちを見透かすように、カーテンの奥から事務員の女性が、コーヒーを2つお盆に乗せて持ってきた。「これ、先生からです」にこりと笑った姿に呆気にとられていると、医師は笑顔でこう語ってくれた。
「尿検査も膀胱のエコーも全く問題ありません。問診項目を見る限りは、心因性頻尿だと考えられます。午後は幸い外来予約が少ないので、コーヒーでも飲みながらゆっくりと話しませんか」。予測していなかった優しい言葉に加え、温かなコーヒーはそれまで緊張感に覆われていた私の心を、一瞬で解きほぐしてくれた。更に、医師は「柳に雪折れなし、という言葉があるでしょう。自分を追い込んで折れてしまうのではなく、心にゆとりを持って毎日を過して下さい」と、真っ直ぐ私の目を見据え諭してくれた。
本当は自分でも気付いていた。仕事やプライベート、様々な場面でトイレのことを気にし過ぎる余り、神経質になっていたことを。また、がんの再発や転移に怯えた日々も、強いストレスとして自らに圧し掛かっていたのだと思う。
それまで大病院には、あまり良いイメージを持っていなかった。流れ作業のような短い時間の診察に加え、過去にはパソコン画面だけを見ながら、病状説明や冷たい言葉を浴びせられた経験があったからだ。医師と患者、本当は対等な立場でなくてはならないのだが、診てもらっているという引け目から、患者側はどうしても立場が弱くなってしまうものだ。そんな心情を察して、リラックス出来る環境を整えてくれた医師の姿に、仕事に臨むプロの真髄を見た気がした。無論それは病院に限らず、どんな仕事であれ最後は同じなのだと思う。根幹は"人対人"で、血の通っていない言葉や行動は、相手の心に響かずいつまでも宙を彷徨い続ける。
不安と恐怖でいっぱいになりながら訪れた泌尿器科だったが、私は社会人として大切なモノを学んだ。どんな場面でどんな人と接する場合も、相手の立場に十分な敬意を払い、心の繋がりを大切に仕事に向き合っていきたいと思う。