健司の「健」は健康の健です。祖父がそんな願いを込めてつけました。
厨房では毎日長時間働いて、1ヶ月の最高の労働時間が410時間を超えるという金字塔を打ち立てたこともあります。家に帰れず床で寝たこともあります。本当にきつかったです。10年前の自分より、確実にタフになっていると感じています。厨房という場所は、短距離を全力で走るように、15時間を全力で走りまわります。
僕にとって厨房という空間は、料理を学ぶ場所という位置づけではなく、人間性を鍛え、肉体を鍛え、そして自分のこれからの人生で何をするべきか、その進む道を教えてくれたありがたい場所です。世の中に病気で苦しんでいるひとがたくさんいる中で、なぜ自分には健康な体が与えられているのか。その意味をはっきりと悟っていかなければいけない。「俺は健康な体でよかった」と自惚れるために健康な体を与えられたわけじゃない。そこそこ働いて、悠々自適な生活を送るために健康な体を与えられたわけじゃない。
夢があるんです。でっかいでっかい夢があるんです。大きな志があるんです。
僕は飲食店をやりたい。労働者のための飯屋をやりたい。一日働いてくたくたになった労働者が、腹いっぱい食べられるお店をやりたい。「当たり前の飯でうまいものを作れ」。それが僕のテーマです。
そして一方で世の中には、まだまだ働けるのに雇ってもらえない高齢者や、体に障害があるけど働きたいと思っている人たちがいます。そういう人達を巻き込みながら、たくさん店舗を作っていきたい。
昔こんなことがありました。一日だけの派遣のような仕事で、秋葉原の近く、4時間だけ皿洗いの仕事に行ったんです。結婚式の二次会をやるようなイタリアンのお店でしたよ。お店は地下にあって、そういうお店だからやっぱりおしゃれだし、そこのチーフも口髭をたくわえてかっこいい感じでした。洗い物をやっている内に気づいたのですが、体にハンディキャップを負った人たちが働いているのです。厨房では片腕の不自由な方が働いている。耳のわるい方が働いている。こんなにクオリティの高いお店なのに、です。よく、こういう方々に働いてもらう時に、一番の方法は、店の品質を落とせば簡単です。でもそれじゃ意味がありません。高齢であっても、障害があっても一流の舞台で働いてもらう。それが輝きのある人生だと思います。東京の人たちのためには東京に店を。北海道の人たちのためには北海道に店を。鹿児島の人たちのためには鹿児島に店を・・・。お金のためじゃなく、欲のためじゃなく、ただまっすぐに、純粋な気持ちでその夢を推し進めていきたい。
飲食業界はできた数だけ消えていく厳しい世界です。お前のような青二才に何ができる、とお叱りや批判を受けることもあるだろう。自分でも不安な気持ちになる時もある。しかしそんな時、よく思う。なぜお前ごときに健康な体を与えてやったのか。その重大な意味をさとれ。つべこべ考えず夢をかなえろ。やれ。
僕は必ず夢をかなえる。だって僕は夢をかなえるために生れてきたのだから。楽しいことよりも、困難なこと苦しいことの方が多いと思う。夢をかなえるためにこれからの人生でいったいいくつのハードルを越えていかなきゃいけないのだろう。しかしどんなことがあろうとも、迷わず、諦めず、堅き芯を持って僕は突き進んでいきます。