【 佳 作 】
「給料が安くても贅沢言える身分でない。仕事の選り好みはしない。どこか雇ってくれるとこないですか?」
私はH君に、再就職先の相談を受けたが、返答に窮していた。彼は、私が勤めていた会社の四次下請けの作業員で、労災事故の罹災者である。構内の建設現場で資材運搬中、『てんかん』の発作で、転倒時に後頭部を打って救急搬送された。数針縫ったが、脳内部には異常がなかった。
工事で入構してくる下請けの作業員に、安全関係の教育をするのが、「安全課長」の私の任務であった。教育前に、健康診断の内容をチェックし、問題がない者の面談をする。
H君は、初めての入構だった。提出書類の中身を点検して面談に入った。30歳の独身、がっちりした体躯で、受け返答もそつがない。建築工事に必須の資格を保有しており、難易度の高い免許と技能士の資格を数種類取得している。一次下請けの者でも、彼以上の有資格者はいなかった。
健康診断は、法廷で定めた項目を満たし、数値も問題ない。既住歴欄も記載事項がない。医師の所見は、「就業可」の押印があり、非の打ち所がない。R工業は良い職人を雇ったな、と思った。が職歴の多さが気になった。短期間で転々と職種を変えている。資格の種類、病歴等は全く問題がない。
勤め先の待遇か、対人関係で問題があったのかな、それとも倒産?と勘繰ったが、いずれの会社も健在だ。理由を訊いてみたかったが、個人情報云々があるので思い止まった。
H君の怪我は、4日間休業ですんだ。労災基準監督署へ、「災害報告書」と「再発防止策」を提出しなければならない。R工業の親方に来社願って、H君を交えて事故の詳細を聞かせてもらうことにした。
「雇う時分、『てんかん持ち』のことは聞いてない。健康診断の既住歴は空欄だし、本人の申告もない。被害者はわしの方じゃ!」親方は、のっけからH君を責立てた。「隠していたことは謝ります。騙すつもりはなかったが、病名を言っただけで断られた。怖くて本当のことは言えなかった――」H君は、搾り出すように胸の内を吐露したが、雇い主の怒りは鎮まらなかった。「今月の日当は支払ってやるが、明日から出社の必要がない!」とH君を睨みつけて立ち去った。
彼の『てんかん』は先天的の病で、投薬治療をしていたが、完治はしていなかった。発作は中学まであったが、その後数年間、一度も発作がなかったので就職した20歳のとき職場で発作があって、半年後にリストラされた。その後病名を伏せて再就職できたが、密告電話で病歴がわかり、体よく解雇された。親方が帰ってふたりになった。H君は嗚咽を押し殺し、転職の経緯を語ってくれた。
彼と一緒にハローワークに通ったり、気心が知れた下請業者にも当たってみた。が事情を知ると尻込みされた。H君は一年ほど就活したが、病歴を告げただけで無条件に断られた。
二年目の夏。H君から電話があった。受話器の向こうの声が弾んでいた。「今、豚の尻を追っている。山間にある片田舎の養豚場で働いている。一か月になるが慣れた。今の仕事は自分に向いていると思う」「病歴のことは話したのか?」と訊くと、「おやっさんは『そんなこと心配するな。定年制もないからいつまでも働いてくれ』と喜んでくれた。毎日がおもしろい。在職中は色々厄介をかけました」
休日に、隣市にある養豚場に行く約束をして電話を切った。