【 佳 作 】
非正規雇用者の待遇や給与の改善、あるいは「非正規」という「正しくない」的な、いかにもネガティブな呼称の再検討、とかいったことは、お役所の検討会などできちんと討議がなされているはずだろうから、その成果を期待し、ここではそれには触れない。替わりに、一非正規雇用者としての、小さな期待を書きたいと思う。
非正規でいるのには、大なり小なりの各人の事情なり理由がある。正規雇用を目指しながらそのチャンスがなく非正規でいる人、家の事情、体の事情などで長期フルタイムでの就業は避けたい人、まだ自分探し中だったり趣味などを極める時間を確保したいが生活も維持する必要からとにかく非正規で働いている人、等々。ちなみに私は、自分の東京での生活と、両親の暮らす四国での遠距離介護を両立させたい、いつでも病気の母の希望があれば、一週間でも帰省できるようにしていたい、という理由から、この8年余り、非正規雇用で暮らしてきた。東京なら探せば仕事はある。非正規だっていい。働きながら自分がしてみたい事に徐々に挑戦してゆけばいい。
個人的には、非正規だからというだけで、「かわいそうに」と同情することはないと思っている。そうではなく社会や職場に期待することは、非正規であっても、仕事はきちんと評価してほしいということだ。正社員や正職員とは給与も待遇も恵まれない中で頑張って働いているのに、評価の機会がない場合、労働意欲は半減する。バイトでも短期派遣でも、身分に関係なく真面目に働きたい、そしてそれは評価してほしい、と願っている非正規雇用者は私だけではない。評価の形は、給与であったり待遇改善に直結すればもちろんありがたいが、最低限、言葉で伝えてほしい。「どうせ非正規には替えがいるし、期間がすんだら辞めるのだから、頑張ろうと怠けようと評価する必要もなし」という職場があった。悲しかった。
6年ほど暮らした英国では、週3日程度のパートでも国の機関で責任ある仕事を担当し、そこから出版物も執筆し、そして育児と両立していた女性や、水道管工事業者だった男性が大学に通い会計士になった、という話など、職業選択が本人の責任の元、自由に行われていた実例に出会った。ワーク・ライフ・バランスなんて意識しなくても体現している人たちがいたように思うのは、その個々人の資質の印象なのか、それとも社会の許容範囲が広かったからなのかは分からない。
いわゆる週5日フルタイムの就業形態でないと正規雇用は難しい、という日本の古典的な慣例を越えて、週3日程度のパートタイムでも、正規雇用として責任ある仕事や専門性を活かせる働き方ができる社会になってほしい。新卒一括採用の機会以外にも、そして年齢至上主義のような日本の雇用マーケットでほとんど正規採用など諦めざるをえない中高年にも、人生の転機などに非正規と正規の間を自由に行き来できるドアが開いている社会、職場になってほしいと期待している。そうしてこそ、多くの人的な資源はより十分に社会で活かされてゆくと思う。