【 佳 作 】

【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
どうでもよい見栄と、譲れないプライド
岐阜県 安田貴喜 41歳

大学時代、就職氷河期と言われ、就職活動は楽ではなかった。それでも、一応、有名私立大学出身というプライドがあり、それなりに一流企業に就職したいということで、必死に就職試験を受け続けた。そして、何とか東証一部上場企業に就職できた。家族はもちろん、親戚のおじさんやおばさんも喜んでくれた。

これで、何とかプライドは守ったと思った。でも、それは、単なる見栄だったのだろう。なぜなら、私は、その会社に入って、何がしたいかなんて、これっぽっちも考えていなかったのだから。そもそも、大学に入ったのだって、何がしたいかではなく、有名大学だからという理由だけだったのだ。

社会はそんなに甘くなかった。自分に何ができるのか、何がしたいのか、それを持たないままの仕事は、苦痛だった。とくに最初のうちは、外回りや配達と、主に肉体労働ばかりだった。学生時代、サッカーで鍛えていた体ではあったが、それでも、心が乗らない肉体労働は、相当過酷なものだった。

ある時、仕事に身が入らず、先輩に叱られた。今思えば、言われて当然の罵声だった。でも、あの頃は若く、ただ苛立った。悔しくて、家では泣いていた。入社して、3ヶ月も経たず、仕事を辞めたいと思った。でも、辞める勇気はなかった。辞めたら、いろんなものが崩れ去る。プライドではなく、これもまた見栄だった。

それから、少しは根性を据えて働いた。配達が多かったので、筋肉はモリモリになった。慣れてくると、まぁ、これも悪くないと思った。

ある日の配達中、のんきに遊びながら下校している小学生を見て、まだ働くことを知らない彼らを羨ましいと思った。そして夜、家に帰ると運命の電話が鳴った。ちょうど、働き始めて最初の夏が終わるころだった。母さんからだ。
「おじいちゃん、もう長くないから、電話で話してあげて」

もう何年も実家に帰っていなかったから、そんなこと全く知らなかった。それでも、じいちゃん子だったから、じいちゃんが大好きだった。だから、少し弱音を吐いてしまった。
「じいちゃん、俺、学校の先生になりたかったな」

突拍子もない話だ。経済学部出身で、教員免許もない人間が、昼間見た小学生を思い出して、何となく言ってしまった言葉だった。叶うわけのない、夢とは言えないほどの、現実逃避の言葉だった。でも、じいちゃんは、弱々しい声で「がんばれよ」と言ってくれた。

そして、それが、じいちゃんと交わした最後の言葉になった。

3日後、仕事場に実家から緊急の電話がかかってきた。4時間近く車で高速道路を飛ばし、泣きながら実家に帰った。自分が最後に言った言葉が嘘になるのが許せなかった。大好きなじいちゃんに嘘はつきたくなかった。

葬式が終わり、両親、親戚一同の前で、仕事を辞めることを伝えた。これから大学に入り直し、学校の教師になると宣言した。次の日、会社に戻り、辞表を出して辞めた。そして、通信制の教育大学に入学した。

それから、2年後、私は小学校教師になった。嘘つきにはなりたくない。それは、見栄ではなく、プライドだった。だから、一生懸命働いた。子どもたちに夢を語れるような人間になろうと、自分の生き方を見直した。そして、仕事が大好きになった。

今は、胸を張って、じいちゃんの墓参りができる。「ありがとう」

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