【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場から学んだこと】
目指したい場所
福岡県 林檎 38歳

私が大学を卒業する頃、今から15年ほど前になるが、超就職難時代だった。新卒採用を取りやめる企業が多く、例にもれず卒業しても就職先が決まらなかった。アルバイトをしながら資格試験等に挑戦したが、結果は芳しくなく、正社員として採用が決まったのは27歳のときである。未経験者歓迎の触れ込みに魅かれ、どんな職種でもよかった。早朝から深夜まで休みなく働き、失敗すると容赦なく怒られた。同時期に採用された男性は一週間ほどで辞めてしまい、私も何度も考えたがようやく手にした正社員の地位を失いたくなかった。失わずに環境を変える方法は、在職のまま転職活動を成功させることである。私はその方法を幾度か繰り返し、今の会社に勤め始めて7年が過ぎる。

今の会社は子会社からの転職だったが、提示された条件は納得しがたいものだった。私に与えられた職務は当時の社長のお世話係で、社長が望む時間にお茶を出し、時々話し相手になる、というもので続く人がいないため私にということだった。大卒程度の能力は不要であり、高卒程度の評価しかしないと言われたときは「おかしい」と声をあげたが、「何がおかしいのか説明しろ」と言われると黙ってしまった。後で分かったが大卒の事務職の女性の採用実績がなく、また、技術職の女性採用を試みるも退職が後をたたず、会社は大卒の女性に失望していたのだ。幾度かのやりとりの中で、私が大卒の男性と遜色ない仕事ぶりだと認めることができれば考えてやらぬこともない、というところで納まった。

半年後、社長交代に伴って人事の仕事に携わることになった。入社してから、評価制度の不透明さだけでなく賃金の不平等も知った私は、それも「おかしい」と言い続けた。就職の難しさ、就職してからも自己実現が叶わない憤りや苛立ちの中で、同じような困難に直面した方々がどのようにしてそれを乗り越えてきたのか、体験を見聞きしていた。多くの方がそれでも「続ける」ことの大切さを主張されていた。男女が本質的に平等であること、能力の問題と性の問題を混同することは誤りであるとの考えを折りに触れて説いた。三年後、性や学歴に左右されない賃金制度となり男女同一賃金が実現した。評価や教育の問題に取り組むことができると思った矢先、再び異動になった。

先日、パワーハラスメントに関する相談件数の上昇を伝える報道があった。人命に係ることから過剰労働の問題が大きく取り上げられるが、仕事をさせないこともまた問題のひとつである。ハラスメント問題の根幹には、信頼関係の構築の難しさがある。同世代間のように横の繋がりに比べて、年齢差のある上司と部下の間で尊敬や信用を共に築いていくことは難しい。その難しさから心が折れてしまうことがある。異動になって三年、私は仕事ができない悔しさを味わってきた。何度も心が折れたし、もうここが限界だと思った。しかしその度に、今こそ耐え抜かなければならないと言い聞かせる。言い聞かせることができる理由はいくつかあるが、友人知人に助けられることもあるし、私の場合は自分でも気が付かない間に根付いた愛着である。相談しているうちに、27歳で社会人になって以降の私の人生は、仕事を通してできあがった思い出がたくさん詰まっていることに気付かされた。特に賃金の問題に取り組んだことは大きく、まだここでは立ち止まれない。もうひとつ、連日取り上げられる報道に女性の管理職登用を促進する記事がある。大手企業では広がりを見せつつあるようだが、中小企業ではこれからであり、こうした外部環境の変化は大きな希望である。

耐えて、耐えて、耐えて―ようやく目にすることができる光景があるのではないか。たどり着いたとき、それが次の世代に引き継ぐバトンとなるのではないか。折れてもまた立ち上がる心でその場所を目指したい。

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