【 佳 作 】

【テーマ:私の仕事・働き方を決めたきっかけ】
お母さんのしごと
岩手県 島田咲 36歳

下の子どもが一歳を迎えた春、5年ぶりに社会復帰することになった。ハローワークで目にとまる『保育士』の文字。その瞬間から私の頭で色んな人の声が聞こえてくる。「また保育園で働かないの?」「パートなら残業もないし、気楽だよ」

難関を突破して叶えた保育士という大きな夢は、たった6年で消えた。腰を傷め、将来を考えて苦渋の決断で転職したのだ。

当時、ピアノやダンスが得意だった私は周りから頼られ、自分のクラスの事の他にも色んな仕事を持ち帰っていた。一人暮らしのアパートの玄関先で倒れたことも、病院で点滴を打って職場に戻ったこともある。

「あなたは上手に手抜きできないのよ」フリーターの友人に言われてカチンときたことがある。だって子ども達のキラキラした瞳で『せんせいおねがい』って言われたら断れる?得意なあなたがやってくれないのって先輩に言われたら、断れる?こうして24時間『せんせい』だった私は土日も仕事に明け暮れた。心と体のSOSが、腰を傷めるということになったのだろう。

結婚して専業主婦になってからは、わが子達との時間を大事にしていた。しかし、家計を支えるためいつまでものんびりしてはいられない。もしまた保育士として働いたら・・・母親の気持ちもわかるし、育児の知識も増えていて、きっと役に立つだろう。だだ、『母親』と『先生』のけじめがつけられるだろうか。保育の仕事が大好きで頑張りすぎてしまう私は、自ら申し出て色々持ち帰ってしまうかもしれない。母親に甘えたい子ども達に『忙しいのよ!』なんて言ってしまわないだろうか・・・。

悩んだ末、私は飲食店のパートを始めた。本当は、子ども達が通う園でも保育士を募集していてギリギリまで迷ったのだ。母が活躍する姿を見せるのもひとつかもしれないと。

私は娘に聞いてみた。「お母さんが保育園で働いたらどう思う?よその子を抱っこしてたら寂しくなるかな?」

すると。娘は答えた。「うん、だからハンバーグやでいいよ。ちゃんとおしごとしてはやくむかえにきてね」あまりの即答に、迷っていた自分がバカみたいで笑ってしまった。

勤め先は、街でも人気のレストラン。「いらっしゃいませ!」「発声、いいですね」

初期研修の時、私の声の大きさに店長が驚いた。何十人もの子どもに歌ったり怒鳴ったりしてきたんだから当たり前である。マニュアルがしっかりしていて、特技も個性も出す隙がない職場。誰も私が保育士だったとは知らないので、私は単に声が大きいパートのおばさんでしかない。でも、頑張ったぶん人の笑顔が見られる楽しい仕事である。「時間なので上がります。お疲れ様です!」

タイムカードを切った瞬間から、私はすぐ『お母さん』の顔に戻る。「さあ、夕食は何にしようかな〜!」

自転車をこぎながら頬に当たる風が気持ちいい。

家に帰ると、子ども達は"おかあさん、あそんで!"と私の手作りおもちゃを持ってきて順番にひざに座る。10年以上も前に作った仕掛けつきの紙芝居やパズル。保育雑誌のコンテストで賞をもらって、出版社の方がわざわざ東京から取材に来たこともある。たくさんの子ども達が夢中になってきたそれらの手作り教材は、今は2人の子どものもの。もったいないと言う人もいるが、わが子達の喜ぶ顔に勝るものはない。

私の本職は、『お母さん』。宝物である子ども達に、おいしいご飯を作って、一緒に笑って、いっぱい抱きしめて。収入は少ないけれど。『お母さん』という仕事に誇りを持って、今しか味わえない充実した日々を楽しみたいと思う。

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