【 入 選 】
「仕事は修行の場である」
私が、様々な仕事を通じて学んできたことである。ベビーブームの最中に生まれた私は、高校受験や大学受験の壁にぶつかり、バブル崩壊後は、就職活動にも困難を極めた。教員を目指したものの、大学卒業後11回目にしてやっと採用された。
それまでの間、生きていくために働かなくてはならなかった。様々なアルバイトをかけもってきた。塾講師、家庭教師、学校相談員、蘭の栽培、温泉の受付等である。派遣社員として真夏には40度を超える倉庫の中で、商品の仕分けをしたり、化粧品の工場で商品の箱詰めをしたりしたこともある。
子どもが相手であったり、接客であったり、植物を育てたり。様々な職種に携わることにより、また、たくさんの人達と関わることにより、本当にたくさんのことを教えていただいた。楽しいことも経験した。でもそれ以上に嫌な思いをすることがあったように思う。
上司の説明を取り違えて、失敗したことがある。同僚から厳しい指導を受け、何度も泣いたこともある。若い頃の自分は恥ずかしいことばかりである。しかし今になって思えば、どんな経験も、今の私を形作る要素になっているということが、はっきりわかってきた。失敗したとき、人間関係に悩んだとき、それらは少なからず、私を成長させてくれた。ピンチがチャンスであった。その時は本当に大変であったが。
今までに就いた仕事全てに「やりがい」を感じられたわけではない。これらの仕事全てが自分に合っていると思えたわけではない。しかし、生きるために頑張るしかなかった。どんな仕事に就いても、一生懸命働いた。その頑張った先に、働く楽しさが見いだされてきたのである。どの仕事にもプロフェッショナルがいて、その人の技を盗んでそれが我がものとなったときは嬉しかったものである。速くて丁寧な仕事は、誰もが喜ぶ。自分が社会の役に立っていると感じたり、人とのつながりが次の仕事へとつないでくれたり。そうすると面白くなってくる。仕事終わりに同僚とお酒を飲めるようになると、この仕事に就いて良かったと思える。
昨今、自分のやりたい仕事ではないと、勤め先を何度も変えていく若者や、仕事に就かない若者が増えていると耳にする。私はそれが残念でならない。想定外の仕事に就いてしまった人達は是非、あと一歩、頑張ってほしい。希望していなかった会社でも、自分に合わない仕事でも、そこで学ぶことは、きっと人生の財産になるはずである。
念願かなって、小学校の教師になって10年になる。大変やりがいのある仕事だ。子供のできなかったことができるようになったときの顔が、何とも言えず大好きである。10年の間、本当に様々なことがあった。子ども達にいろいろなことを教えてもらった。同僚からたくさんの技術を学んだ。一方で子どもとのすれ違いや保護者からのお叱り、同僚とうまくいかないことも多々あった。しかしその都度、根本から考え直したり、話し合ったり、頭を下げたりして乗り越えてきた。意地もプライドも捨てて。過去の経験は人との関わり方を身につけさせてくれた。
「人は自分を映す鏡」であり、人の言葉や行動が自分にたくさんのことを教えてくれる。毎日が学びであり、経験は人生の宝物である。成功も失敗も含めて、仕事は自らの成長の糧である。それはどんな仕事に就いても同じであろう。
仕事は修行の場である。
人生経験もできて、その上いただけるお給料は、頑張った自分への最高のご褒美であろう。