【 入 選 】
約10年前から、市民による市民のためのボランティア団体や個人を取材し、地元新聞で紹介している。その縁で、市民のボランティア活動の相談員として、ある施設の窓口に座ってくれないかというオファーがきた。そのときは、土地っ子でない私にそんな大役ができるのかと不安であったが、頼みごとは断らないという自分のモットーを曲げるわけにはいかず、とりあえず試行錯誤でやってみることにした。
現在、3年目に入った。今思うに、この仕事から「人に寄り添って話を聞く大切さ」を学んでいると思う。
思い起こせば、初出勤の日は緊張でガクガクしていた。
難しいことを聞かれたらどうしよう、怖い人が来たらどうしよう等々、最悪の状態ばかりを想像して臨んだ。
しかし、記念すべき最初の来館者は、忘れもしない、中学生の母親だった。わが子の夏休みのボランティア活動に関するものだった。なるべく、子ども本人に来てもらい、いろいろなことを本人の口から聞きたいと思ったが、部活で忙しいらしく仕方がないなと思った。
それからは、退職後のシニアの方がどんな活動があるのかと訪れたり、就活の履歴書を書きたいがために来た若者もいた。ボランティア活動をしたことがないという人々も多く、まずは、その相談者の趣味から聞くことから始めた。あまり、プライベートなことに触れないようにしても、その人それぞれの生き方が垣間見えてくることもある。
中には、しばし考えても、今まで生きてきて、これといった趣味もないという人もいた。そこで話を終わらせるわけにもいかないので、「今までずっと仕事一筋、忙しくて大変だったのですね」と言うと、こわばっていた相手の表情に柔らかさが宿る。そのうち、今までの仕事の苦労話や、はては自分の小さいときの楽しかった思い出話にまで及ぶことがある。
こちらとしては、ただ耳を傾け、うなずき、わからないところは聞いたりもする。そのうち、私も、自分が今まで携わってきた色々なボランティア活動で感激したことや、はては失敗談まで話したくなってくるから不思議だ。そこには、相談者と回答者の関係ではなく、町の寄り合い所で、熱いお茶でもすすりながら世間話をしている気安さが生まれてくる。
ボランティア活動の紹介よりも私の経験談から、その活動のきっかけや成り立ちまで、相手は興味を持ってくれるようだ。
「ボランティアはやりたいときに、やれる範囲と時間でオッケーです。無理はだめ、続きません。もし、自分の求めるものとその活動が見事に、マッチしたときは、新しい世界で羽ばたけると思います」とプッシュする。なぜなら、そう言う私が、その生き証人だからである。日本語ボランティア歴20年、手話サークル14年、もはや引退のきっかけもないまま続いている。趣味が高じて、人とめぐり合い、助けられたり、助けたりとの繋がりができている。
人に貢献できて、まして喜んでもらい、自分まで幸せな気持ちにしてくれる機会は、生活の中で、そうそうあるものではない。その機会探しに少しでもお手伝いできる私は、幸せ者だ。いつも、その根底には、人の話を聞く大切さがあると思っている。
相談者が最後に席を立って「ちょいとやってみるか」、「エネルギーもらえた」という言葉に励まされる。お返しに「また、話をしに来てくださいね」の一言はもちろん忘れない。
これからも、人に貢献できる歓びを分かち合いたいと思っている。相談窓口ではなく、横に座った者同士で。