【 入 選 】
昨年の夏、県内にあるショッピングセンターで買い物をしていると、背後から声を掛けられた。「西村さんですよね?Aです。ご無沙汰しています」。振り向いた私に、満面の笑みでそう語り掛けてきた青年。日焼けした精悍な顔に鍛え上げられた両腕、僅かに少年の頃の面影を残す彼のことを、私は鮮明に記憶していた。
A君と初めて会ったのは私がまだ20代の頃で、社会に出て7年目の春だった。私から見れば年齢がちょうど一回り下の少年だったのだが、私は彼から仕事に取り組む姿勢を教わったのだ。
私は、高校卒業と同時にスポーツ用品販売店に就職をしていた。従業員5人の小さなスポーツ店だったが、小学校から高校まで野球をやっていた私にとって、スポーツに関わる仕事をすることは念願だった。仕事内容は、得意先の中学や高校にユニフォームやスパイクといった用具を営業販売するというものだった。午前中は店で経理や発注業務に追われ、午後からは部活動の練習をしている学校を回る。ハードな毎日だったが、とても充実した仕事だった。
A君はその得意先の中学にいた生徒で、陸上の短距離選手であった彼は、全国でも優勝が狙えるスプリンターだった。しかし、当時の私は彼を苦手にしていた。なぜかと言うと、多くの中高生が既製品のスパイクを使用する中で、彼だけはスパイクの軽量化やピンの位置に至るまで、細部にわたる注文や質問をぶつけてくるからだった。よく言えばプロ意識の魂のような生徒、悪く言えば小難しいガキ、自分が半人前なのは棚に上げ、そんな印象を持っていた程だった。
だが私は、ある日彼に強烈な冷や水を浴びせられてしまう。2ケ月後に迫った全日本中学選手権に履くスパイクの詳細を詰めていた時のことだ。使用する製品が決まらない彼に「この辺りが無難じゃない?」私はそう助言した。すると「この辺り?それどう言う意味ですか。西村さんにとっては数ある大会の一つかもしれないけど、僕にとっては中学で日本一になれるチャンスは一度きりなんです!もっと高い意織を持って仕事をして欲しい」。そう詰め寄られたのだ。
瞬時にハッとした。言葉が胸に突き刺さった…決して手を抜くことや半端な気持ちで仕事に向き合っていた訳ではないが、知らないうちに私の心に、悪い意味での"慣れ"が生じてしまっていたのだ。A君から心に潜む慢心を見抜かれた気がした。
当たり前の話だが、百人の選手がいれば百通りの競技人生が存在する。A君のように強いアスリートもいれば、毎日必死にもがいてもタイムが出ない選手だっている。本来なら彼らを見守る私たちこそ、選手たちを全力でサポートしなければならないのだ。彼が言った"高い意識"という言葉には、強くて揺るがぬ信念が込められている気がした。
偶然の再会を果たした私たちは、近くの喫茶店へと場を移し昔話に花を咲かせた。A君はその後、高校大学を経て母校の高校で体育教師として勤務しているとのことだ。私が「あの時、A君から仕事に取り組む姿勢を学んだんだよ。ありがとう」と告げると、驚きと照れたような笑みを浮かべた。
この歳で改めて感じるのが、仕事をする上で年齢やキャリアは後から付いて回るものだという点だ。大切なのは目の前の課題にどれだけ誠実に向き合えるかで、瞬間の積み重ねが時を経て自らの血や肉に変化を遂げるのだ。それを教えてくれたA君には、今も感謝の気持ちでいっぱいだ。