一般社団法人 日本勤労青少年団体協議会 名誉会長賞
「非常に残念ですが、ご主人の命はあと半年です」。医者にそう宣告されたのは、夫が31歳、私が30歳の秋だった。「結婚して子どもを産んで、平凡な生活を送りたい」。小さなころから描いていたそんな夢はあの日音をたてて崩れ落ちた。夫の病気は血液のガン。現在の医学では治癒する病気だが、27年前は厳しかった。そして私はその時、地方公務員という自分の仕事に対して一つの結論を出す。「今の仕事を辞め、夫の看病に専念する」と。残された命が半年と宣告された夫と、一緒にいたいという気持ちだけだった。上司に相談したら「よく考えた方がいい」とのアドバイス。でも、そんな言葉は顧みず私は年度末の退職を決め、夫の看病に専念した。
夫は本当に頑張って病気と戦い、奇跡を何度も起こす。しかし力尽き、平成元年秋に35歳の若さでこの世を去った。半年といわれた命は3年半延ばし、私にも周りにも多くの『心の宝』を残してくれたことは今、一生の財産となっている。一人となってしまった私が、真っ先に考えたのは、「生活をするために働かなければいけない」という現実だった。夫が入院していたときは、夫の両親が大分支えてくれた。しかしこれからは、私が働かなければ生活できない。そんな状況になり、仕事を辞めたことを少し後悔したのも事実だ。あの時の、上司の言葉が蘇った。
そんな私のところに、知人から「小さなローカル新聞社だけど勤めないか」と、声が掛かる。有り難かったが、全く経験のない私は戸惑った。でも仕事がなければ生活できないし、不安だけどやってみるしかない。すぐに勤めさせてもらうことにした。仕事は、取材をして記事を書くこと。もちろん写真も撮り、写真を現像し、焼き付けも行う。小さな新聞社なので、全て自分でこなさなければいけない。また締め切り時間があり、時間に間に合わせるのも大事なことだ。先輩に教わりながら、一からのスタートだ。取材の仕方、写真の撮り方など、何回も指導を受けながら覚えていく。20代なら飲み込みも早いけれど、34歳のスタートはきつかった。スローペースだけれど、一つひとつ身につけていくしかない。先輩から「マスコミの仕事はやりがいがあるよ」と言われるけれど、全くそんな余裕はない。内容が間違っていたらどうしよう。そんな不安だらけの日々だった。気持ちの上でも夫が亡くなったことを引きずっており、いつも暗い顔をしていたらしい。そして「私には、この仕事は向かないんじゃないか」と思い込み、自問自答の毎日だった。
ある時、転機が訪れる。私の書いた記事を読んだ読者から電話があり、「今日の記事で元気がでました。ありがとう」との言葉が耳に届いた。その日から、私の行動は変わった。やりがいを感じ、仕事に対して前向きになり、記事の書き方、写真の撮り方など勉強するようになる。一つひとつ教わり、努力をし、頑張ることがうれしかった。もちろん失敗も何回かした。でも今までは、すぐ落ち込んで逃げることしか考えなかったが、その失敗をバネに学んだ。そして今の仕事に就いて23年が経った。今は編集長という立場で新聞つくりに携わっている。まだまだ勉強することは数多くある。初心を忘れず頑張りたいと思う。
今の仕事をしていく中で、亡くなった夫の言葉「もっと、もっと生きたかった。そして一つでもいいから、何か人に喜ばれることをしたかった」が、私の将来の目標となっている。夫が亡くならなければ全く出会わなかったであろうこの仕事に誇りを持ち、この仕事での経験を将来、地域・人のために役立てられるよう、今は現実の中で前向きに頑張りたいと思う。
偶然ではない仕事との出会いに、私は本当に感謝している。心から"ありがとう"。