【 努 力 賞 】

【テーマ:仕事から学んだこと】
困難を乗り越えた先にたどりついた仕事
北海道 社会保険労務士 松平 貴弘 35歳

私は趣味でよく「オンラインゲーム」をする。ゲームではインターネットを介して全国各地のプレイヤーと協力しボスを倒したりするなどしてストーリーを進行させていく。その協力プレイのあとにはプレイヤー同士がフレンドになるなど親しくなり、チャットをして会話がはずむことがよくある。現実の社会では一度も顔をあわせたことはないのだが気兼ねなくチャットし、ときには本音をだしあうことも珍しくない。現実社会でつけている仮面をはずし、素顔をさらけだしあっている姿がそこにあるといっても過言ではないだろう。私はオンラインゲームのそういう性別・年齢・職業などに関係なく色々な人と交流できるところが好きだ。

そのゲーム中、第一志望の学校に不合格しスベリ止めの第二志望に入学したが、自分の望んでいた道に進めなかったことに悩んでいたプレイヤーに出会うことがあった。そのプレイヤーに私がアドバイスしたことといえば「第一志望の道が必ずしも君にあっていたとは限らないだろう? もしかしたら第二志望のほうが君には良かったかもしれない。神様が第二志望のほうが君にはあっていると思ったから、わざと第一志望を不合格にして第二志望に進めさせたかもしれないよ」だった。その後、そのプレイヤーから「最初は自分の望んでいなかった道に進むことにクヨクヨしていましたが、それを聞きスッキリしました」と自分の望んでいなかった道に進むことへの悩みが晴れたような感じがした。

私は社会保険労務士の資格を有しその仕事をしているのだが、もし難病を患わなければその仕事をしていただろうかと考えてしまうことがある。

私は中学2年生の時に難病を患い、その時の自分が望んでいなかった道を進むことを強制された。だれも望んで難病の道を進みたいと思う人はいないだろう。当然その時の私も進みたいとは思っていなかった。その道を進むことによりたくさんの困難があった。高校生の時は長期入院で卒業が2年おくれ20歳になったり、短大生の時には治療薬の副作用により失明寸前となり眼の手術をしたり、就職試験では「難病を患っている」という理由だけで不合格にされたり…それだけではない。労働・社会保険においても難病患者には様々な不利益があった。福祉サービスでは障害者と難病患者は別個な扱いがされ、障害者には利用できる福祉サービスが難病患者だと利用できないといった制度の谷間みたいな不利益があった。そういった道を進んでいくうちに「その不利益を改善できる仕事がしたい」と思うようになり、その思いから労働・社会保険を専門とする社会保険労務士へとたどりついた。

もしあの時に難病を患わなかったら私は今の仕事にたどりつくことができただろうか。難病という私の望まない道を進むことにより今の仕事にたどりつくことができたともいえる。

ここ数年「就活自殺」が深刻化しているという新聞記事を読むことがあった。就活失敗でその人の職業人生がすべて否定されるわけではないので命を絶つ必要まではないと思うが、何度も就職試験に不合格して死にたくなる気持ちもわからないわけではない。実際に自分も難病で何度も困難にぶつかり「死にたい」と思ったこともあるので否定できないが、それでもその道をがんばって進むことにより、今の社会保険労務士になった私にたどりつくことができた。

仮に就職できたとしても最初から自分の望んでいたことを仕事ですぐにできるのは稀で、その逆のほうが多い。たとえ自分の望んでいなかった仕事でも不平不満を言わずにがんばり続けることが自分の望んでいた仕事へとたどりつくことができる。

そういうことを乗り越えていった先に、いい仕事ができる自分へとたどりつくことができる。あの時のプレイヤーにも自分の望んでいなかった道から、いい仕事ができる自分にたどりつけることを願っている。

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