【 努 力 賞 】

【テーマ:仕事から学んだこと】
人は何のために働くのか〜今の自分にできること〜
東京都 立教大学 職員 秋本 一頼 33歳

自分は「何のために働いているのか」時々頭に浮かぶことがある。給料?やりがい?もちろん人によって答えは違う。私は、学生時代、大学で子供と遊ぶボランティアをしていたが、キャンプや季節の行事など準備に大変な労力とお金をかけて活動していた。今思えば、何でそんなに頑張れたのか不思議だ。おそらく子供達が喜んでくれ、「必要とされること」が純粋に嬉しかったのだと思う。しかし、そういう純粋な気持ちは、社会に出て働き始めるといつしか忘れかけてしまう。

私は、転職も経験したが、「給料」「やりがい」「人間関係」「私生活との両立」など様々な要素がバランスを保つことで人は働き続けることができると思う。これが一つ、二つ欠けていくと「この仕事を続けるべきか」という疑問が生じる。就職できることが当たり前でないこれからの若い世代は、色々なことを諦め、妥協して仕事に就くかもしれない。ただ、そのような環境の中でも、自分なりの働く意味を見つけられるかが、仕事を続けるためのポイントであると思う。

私は、7年前に母校の大学職員として転職し、学生課で奨学金の仕事に携わることになった。自分自身も奨学金によって大学を卒業できたこともあり、無事奨学金に採用され、安心した学生の姿を見ると、「少しは手助けができたかな」と小さな喜びを感じていた。

そんな中、転職した翌年に同居していた父が突然の心臓発作で61歳の若さで亡くなった。翌日の奨学金募集説明会のための残業を急いで切り上げたが、死に目には会えず、自分の仕事を恨んだ。元気だった家族を突然に失う悲しみに、その夜はほとんど眠れなかった。「感謝の言葉を伝えたかった」「もっと優しくしていれば」と、とめどない後悔に襲われる。動揺の中で迎えた翌日、奨学金説明会の説明担当だった私に、周囲は「何とかするから休め」と言ってくれた。確かに目もクマだらけで憔悴しきった人間が来てどうするのか?もちろん忌引きで休むこともできた。

しかし、一つ頭をよぎったことは、説明会には、幼い頃に親を亡くした学生や入学後に突然親を亡くした学生が参加するということだった。自分より遥かに早く、家族との別れを経験した学生が、支援を求めている。そんな学生達が安心できるよう、しっかり説明をすることが、その時、悲しみの意味を知った自分が為すべきことだと思った。それは、「仕事だから」とか「責任感」とか、そういう考えを超えて、心の底から湧き上がる純粋な気持ちだった。無我夢中で説明し終えた後に、それが「その日の自分にしかできない仕事」であったと確信できた。今、あの日の自分を見つめ直せば、「家族との突然の別れに、悲しみと後悔を繰り返す一日を送るなら、同じ悲しみの中にある人のために働く」という心境だったのかもしれない。あの東日本大震災が起きた時、突然家族を失いながらも被災者のために働いた警察、消防、役所の方々などは、私には神様のような存在に見えたが、その心境は少しだけ理解できるような気もするのだ。

やりたくない仕事はあるし、やりがいを毎日感じるなんてことは普通ない。しかし、時折でも「この仕事をしていて良かった」と感じることがあれば、少し辛い仕事であっても続けられるのではないか。長く働いていれば、誰かに必要とされる瞬間や、その時の自分にしかできない仕事がきっとある。私は、あの日、そのことを仕事から学び、自分の仕事にそれまでにない誇りを感じることができた。

私は今も、学生課という学生に最も近い部署で働いている。学生には、様々な活動を通して「人に必要とされる経験」をたくさん積んでほしい。これからも人生の先輩として、後輩の学生達が将来の進路を決める上で、ささやかなメッセージを伝えていきたい、そう思っている。

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