【 努 力 賞 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
働くという字にこめられた想い
神奈川県 朝来 里桜 31歳

「夢を持ちなさい」

「夢は具体的に描いてこそ叶う」

「夢のない人は、いざと言う時踏ん張れない」

こんな言葉たちは、誰しもが少なからず聞いたことのあるフレーズだろう。
確かに、夢を持つことは素晴らしいことであり、それを否定する気は毛頭ない。

しかし、このもっともらしいフレーズは、夢を描ききれない時期の子供たちや、就職に悩む学生、一歩を踏み出したばかりの新入社員にとっては、重荷になる時もある。仕事を始めて3年目頃の青年達もまた、働くということをわかり始めてきた時だからこそ、この言葉たちを聞くと、思わず耳に栓をしたくなる時もあるだろう。

私自身、具体的な夢を描くというプレッシャーに、苦心した経験がある。
高校生の頃、具体的な夢や、将来就きたい職業等を描くことができずにいた。その頃の自分に唯一見えたのは、ここまで自身を育んでくれた、感謝すべき多くの人達の顔だけだった。

大切な人たちに恩返しがしたい、その気持ちは、誰かのためになる仕事がしたい、という、漠然とした夢を抱かせてくれるようになった。具体的な夢などとは程遠かったが、初めて抱くことのできた夢は、大学に進学してからも変わらなかった。そして、人々の生活を支える、モノづくりに関わる仕事を選択した。

就職してからは、仕事のやり方を教わり、問うことで、先輩達の時間を奪ってばかりの自分が、働いていると言えるのか、と悩む日々が続いた。その不安を抱えながら、未熟な自分なりに無我夢中で仕事をした。早く一人前になりたい、人の役に立つモノを生み出している先輩達の助力になりたい、と自分なりの努力を重ねた。

そんな中、私が仕事における師を得たのは、入社3年目であった。エースであり、どんな時でも手を抜かず、一途に仕事に向き合い続ける姿を、私は心から尊敬していた。ただ、先輩には、唯一の弱点があった。完璧主義で、真面目で一本気であるからこそ、人間不信気味であり、自身の下に後輩を持つことを酷く嫌っていたのだ。

そこで白羽の矢が立ったのが、コミュニケーション能力と粘り強さに定評が付いていた私であった。嫌がる先輩にくらいついて一年、何度も怒らせ、嫌がられながら、少しずつ仕事を信頼してもらえる様になった。1年半がたった折、先輩は大きな仕事をやり遂げ、部のピンチを救った。

先輩の仕事に対する能力、働く姿勢、そして常に結果を出すことのできる実力は、私の大きな目標となった。だがその背中を目指す前に、あの大きな仕事を先輩がやり遂げた日、私は先輩に心から詫びた。

仕事に追い込まれる中、私は、先輩のサポートしかできなかった。やるべきことが100あるとすれば、優先順位と重要度の高いものは先輩がやると信じ、残りの30を必死になってやった。先輩には大事な仕事に専念してもらいたいと考えたからだ。

しかし、私に先輩の様な仕事ができていたら、もっと先輩の力になれていたのではないか。そう思うと、頭を下げずにはいられなかったのだ。

「本当に、必要最低限のことしかできなくて、すいませんでした!」

「お前は、必要なことをちゃんとやってくれた。それができる人間なんて、実はほとんどいない。だが、お前の仕事は信頼できた。そのおかげで結果を出すことができたんだ。本当に、感謝している」

先輩がくれた言葉は、私に、働くとはどういうことなのかを教えてくれた。

働くということは、何をなすかということではない。

人を思いやって動き、それが人の心を動かし、それを受けてまた人が動いてゆく。働くという字には、そんな想いが込められていると思うのだ。

どんな仕事においても、その仕事に自分なりに向き合い、取り組み、周りの人たちと織り成し合うこと―それこそが、働くということなのではないだろうか。

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