【 努 力 賞 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
私のための言葉
愛媛県 学習塾affetti 孕石 修也 22歳

「お前は幸せになるために生まれてきたんだ。一緒にいて、楽しい仲間といろ」

今でも忘れない。酔っ払った父親の、覆ることのないだろう人生最高の説教。21歳の新たな命が芽吹く前の時分だった。私はといえば、実家から遠く離れた地方国立大学に進学し3年を経たのち起業家になろうと師に教えを請い、見事に大失敗を得たところだった。もちろんそのときに失ったほとんどは取り戻せるものだということを今では知っている。そして冒頭のその言葉は今の私の確かな軸として、見えることは決してないが自分の内に確かに存在している。

とにかく今、自分にできることをしたかった。社会に少しでも認められたかった。「誰かのために」と、とにかく師に言われるがまま働いた。その結果は、「自分を見失った」という言葉が一番しっくりくる。一言で表現するならば、持ちうる全ての時間と金を師に捧げたと言えば、分かりやすいだろう。師に罵倒された仲間や同志は距離を置くようになり、当時交際していた彼女とも破局した。当時の私はきっと師のための人生を送っていたのだろう。

貯蓄の底が付き、心は擦り切れ逃げ足で実家に駆け込んだ。私は、逃げ足がこんなに重いものだとは知らなかった。浮かない顔のまま両親に全てを話し、自分の弱さを曝け出した。私はてっきり、「うちの子なんだから、普通にサラリーマンにでもなりなさい」とかありきたりな言葉が返ってくるかと思っていた。目の前にいたのは、紛れもない本物の父親だった。「楽しく生きろ。お前は幸せになるために生まれてきたんだ。一緒にいて楽しい仲間といろ。そしてその仲間を決して裏切るな。」父が男として歩んだ人生を凝縮し、私にくれたのだ。用意していたわけもなく、今ここにいる私のために作ってくれた言葉に、感謝の気持ちがボコボコと湧き出て止まらなかった。そしてもう一度やり直す気があるなら、初期投資の一部は面倒みてやると再挑戦の後押しをしてくれた。私が何もかも失ったと嘆いている状態でさえ、これ以上もない真剣な顔つきで味方をしてくれた。

そこからは、充実した有意義な人生を送ろうと幸せでいるためにはどうしたらいいか考えた。本を読み漁り、多様な考えに触れ、何よりも自分の心の声を聞いた。どんな生き方が人生を最高にするだろうか、いかに死を迎えるかなんてことまで考えた。もしかしたら、これが大切なのかも知れない・・・・・・・。私は、自分自身に投げかけた問いを思い返し、順序立てて冊子にまとめてみた。思い返せば中学生、高校生のときも同じだった。「いつかきっと将来の役に立つから」と言われ、ひたすら心を削りながら机に向かっていた。もしかしたらこの世代の子どもたちになら、私の声が届くかも知れない。そんな私塾があったら面白いのではないかと思った。そこからは早かった。テナントを借り、改装し、当時家庭教師のバイトをしていたのでその子たちを新たな塾に呼びこみ、広告を打った。「これからの時代を生き抜く力を育む」

一年を経過した今、順調に生徒数も増え塾生に「自分と向き合う時間」を提供している。もちろん彼らが望めば、勉強も教えている。子どもたちが、どんどん主体的になっていく姿は見ていて本当に気持ちが良い。私自信が心から「やりたい」と思っていることを仕事としてやっている。子どもたちもそれぞれ勉強したいと思っているから真剣に集中して取り組んでいる。これほど場のエネルギーが高い空間はないだろう。もちろん迷うときもある。そんなときは「したいことは出来ているか?」「おもしろいか? 楽しいか?」「素敵な言葉をたくさん使っているか?」「自分のために生きてるか?」と自問自答している。

そしてこれからは、今いる仲間たちと一緒に仕事ができるように動いている。一緒にいて楽しいと思う仲間と一緒に仕事をしてみようと思う。これが本当に私にとっての幸せかどうかは分からない。でも、その先にうっすらと見える幸せ像がある。あの日もらった私の背中を押してくれたあの一言は、今では私を形作る一つの軸になっている。

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