【 努 力 賞 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
今、私は「いし」を目指す
熊本県 伊達 亮輔 21歳

「あなたが医師を志してから、大学受験に向けて勉学に励んでいた高校時代は決してあなたを裏切ることはないと思う。我が子ながら、あの努力の日々にはあっぱれでした」

他人の前ではもとより、面と向かって私を褒めることすら滅多にない母だったが、私が志望していた医学部への入学が決まった朝、そんなことを言った。急に溢れ出した親元を離れる寂しさからなのか、夢であった医師になる道が拓けた喜びからなのか、はたまた、見知らぬ土地での一人暮らしが始まる不安からなのか、よく覚えてはいないが、そのとき、私は何年かぶりに、涙を流した。あれから、もう、3年と半年が経とうとしている。

私は、今、大学4年。医学部に通う、学生である。母の、この言葉は、この三年間の学生生活で、私が日々進歩する医学の世界の奥深さと広大さに圧倒され、くじけそうになったとき、また、医師としてはたらく自分の将来像を模索し、悩み、先が見えなくなったとき、私の背中をそっと支えてくれてきた言葉のひとつである。

大学で医学の世界を学んでから初めて知った医師という職業の辛さがある。思い描いていたよりも何百倍もの大変さ、苦しさ、かっこ悪さ、非力さがある。自分が歩いているのが、「医師への道」という一本道だと思っていたら、その先に、循環器、心臓血管外科、脳神経外科、内科…、たくさんの臨床科があり、いろいろな「医師への道」があった。それは、私にとって、目の前に広がる素敵な可能性というよりは、むしろ、向きや不向きを考えさせられる悩みのタネであり、ある選択をして後悔はしないだろうかという恐れを生みだすものであることの方が多い。

だが、母の言葉を思い出すと、純粋に「どんなに困難でも、自分の全力を賭して人命を救う人」という、もはや憧れに近い理想の医師像を掲げ、ひたすら勉学に励んでいた、そんな高校時代がよみがえってくる。そして、この先、いろいろなことを学び、いろいろな経験をしたとしても、この、全力を賭して人命、そしてその人生と向き合いたいという姿勢さえ忘れなければ、どのような医師になろうとも大丈夫ではないかと、一歩踏み出すことができる。

さて、世間では、自分の同級生たちが、とうとう就職活動を始め、卒業後働き出す準備を着々と進めているようである。いまだ、あらゆる科への興味が絶えず、自分の道を絞り切れない私である。不安や悩みは、やはり絶えない。

しかし、我は若者である。大いに悩み、迷い、ときに母の言葉を思い出し初心にかえり、また悩み、これから卒後2年の研修期間を終え、進む道を決めるまで、堂々とそんなことを繰り返していく所存である。

思えば、誰かからもらった大切な一言、一言が私たちの人生の原動力だ。そして、どんな職業においても、働く人とその働きを必要とする人の間には出会いがあり、人生の交錯がある。

私が医師を志したきっかけは、中学のときの母の入院である。腎臓を患い、予後も芳しくないかもしれないと言われた母と、ただ励ますことしかできない私たち家族を、精神面から支え、ともに闘病してくださった医師に出会った。奇跡的に治療が功を奏し、退院の日を迎えた母に「元気になって本当に良かった」とほほ笑んだ彼の姿は、まさしく、患者の人生に寄り添い、その心身ともの支え、慰めとなる慰師(いし)そのものであった。この一言も、やはり私にとって大切な言葉である。私の理想の医師像の原点が、この人にある。

これまで、私の言葉が誰かの支えになったことがあるだろうか。これから、私の言葉が誰かの支えになるだろうか。背中を、押さずともよい、ポンと叩いて、それが少しの励ましになるだけで嬉しい。あるいは、自分の全力を賭して人命を救わんとする姿、人生に寄り添わんとする姿が、誰かの支えになればいい。そんな「医師」でありたい。そんな「慰師」に、私はなりたい。

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