【 努 力 賞 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
後ろ姿
愛媛県 森田 留衣 21歳

私は、現在就職活動中の大学4回生だ。周りの学生たちと同じように、大学3回生の12月から就職活動を始めた。しかし、結果は見事に惨敗。今まで20社にESを送り、最終面接までたどり着いたのは、たった1社という悲しい結果を更新し続けている。この頃の私は、受けた企業から不合格通知をもらい、新たな求人を見つけては履歴書を送る日々の繰り返しだ。

今年の6月に入ると、周りの友達からは内定がでたと聞きさらに焦り始めた。自分と周りの違いに愕然とした。説明会を開く企業もだんだんと減っていき、大学にスーツでやって来ていた学生も、だんだんと数が減ってくる。そんな現実を目の当たりにした、私はESを書く手は止まり、進んで足を運んでいた説明会にも行かなくなっていった。

それからというもの、私は家にいることが多くなった。あれだけ予定でいっぱいだったスケジュール帳を眺めてみると、すっかり真っ白の状態になっていた。すると、仕事から帰ってきた父が「内定は決まったのか?」と声をかけてきた。就職活動をしている学生が、もっとも聞きたくない言葉だ。私は不機嫌そうに、「決まってない」とだけ答えた。それ以上父は、何も言わず私の横でテレビを観だした。外は、6月だというのに暑い。横に座った父を見てみると、額からは汗が流れていた。作業着も顔も、ところどころ汚れている。土木業を営んでいる我が家では、子供のころから見ている光景であったが、就職活動に悩んで汗ひとつ流していない自分がなんだか恥ずかしかった。

何となく父に、一度もしたことがない就職活動の話をしてみた。「お父さんは、私の就職先どこがいいと思う?」と相談を持ち掛けた。すると、父は「クーラーがついて天井があるとこなら働く場所として文句ない。最高じゃないか」と答えた。この言葉を聞いて、最初は何が向いているのかを聞きたかったのにと正直思った。すると、父の携帯電話から着信が鳴りだした。しばらく、電話越しの相手としゃべると再び仕事用のカバンを持ち立ち上がった。

すると、父はさっきの続きを少しだけ話しだした。「本当は、公務員になってほしいと思ったけれど好きなところに就職したらいい。仕事をしだしたら、休みはないぞ。仕事がなくなるからな」とだけ言って仕事に行ってしまった。私を、21年間育てた大黒柱の言葉は何よりも重かった。

その日から、私はまたスーツに身を包むことにした。父からもらった、好きなところに就職したらいいという言葉が嬉しかった。大学を出るのだから、いいところに就職しろとか言われると思っていたから。仕事をしだしたら、休みはないぞ。遠まわしに今は休んでいいと言ってくれていた。仕事がなくなるからな。立ち止まったら、行くとこないぞってことでしょ。怒るでもなく、攻めるでもなく、不器用ながらに私を励ます父の言葉に少し勇気がでた。自分が勝手にいいところに行かなきゃ、早く決めなきゃって思い込んで空回りしていた。いいところに行くからいいんじゃない、早く決めたから勝ちなんじゃない。どんなに、汗まみれになっても、泥がらけになっても、仕事が好きで続けられるのが本当の意味での働くってことなのかなって思った。

作業着を着て出ていく父の後ろ姿は大きかったけど、10年後の自分の後ろ姿も同じだといいな。

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