【 佳 作 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
そのままの自分で
新潟県 関野 香織 35歳

「働きたいけど、自分に何ができるのか、わからない」「高校も中退し、仕事に就いても長続きしない。自分にもう自信がもてない」「人と接するのが苦手。人からどう思われているか考えると不安」など、毎日若者の切実な心の悩みや葛藤、生きづらい思いに向き合う中で、彼らにどうしたら社会に一歩踏み出す勇気、そして自信を持ってもらえるのだろうか、一番伝えたい大切なことがある筈なのにその答えが明確に見出せず、日々の業務に追われていた。そんな時、あるお寺で坐禅会を開いていることを知った。興味を持った私はその答えと、困難な問題に直面しても折れない真っ直ぐな中心軸を持つ、ぶれない自分になりたい一心で会に参加するようになった。

朝5時半止静。その後朝課と続き、最後に住職との行茶で終わる。住職が丁寧に煎れてくれるお茶を頂きながら、日々の止どめない話をして仕事に向かうことがいつしか私のエネルギー源になっていた。

ある日、住職に「梵鐘を打ってみるか?」と言われ、手ほどきを受けた。「うまく打とうと思わなくていい。そのままの自分で打ちなさい。あるがまま。それがそのままの音になります」と言われ、胸にすっと響いた。(そうか。私は今まで「結果」を出すことに拘って、その結果が思うようにならならないことに執着し悩んでいたに過ぎない)と思えた途端、私自身の心の縄が解けたように感じた。この言葉をきっかけに、特別な言葉は必要無い。不安な表情で相談に来る若者の『誰かに話を聴いてほしかった』『社会と繋がりたかった』という彼らの心の声に耳を傾けて「もう大丈夫だよ。一歩出ることが出来んだから」と伝えられるだけで十分だと思えるようになった。安心していいよと伝えるだけで…。

それからの私は、とても変わったように思う。以前は自分の不安や自信の無さを人に気づかれたくなくて、重い鎧を着て、毎日緊張して過ごしていた。それも今は脱ぎ捨てることが出来、心も軽くなり、考え方もシンプルになった。特別、カウンセリングの技法に変化があった訳では無いが、リラックスした雰囲気で出来るようになった。ただ、住職から教わった「愛語」を多用するようになったことを除けば。それは、相手を思う気持ちから生まれる慈愛に満ちた言葉。聴いた本人が自然と笑顔になり、喜びと希望を与える言葉。その一言はその人の心の中でどんどん膨らみ、自然に外に向かうエネルギーとなる。エネルギーの貯金が出来た本人は、今度はその言葉を他者に伝え、自然と人と繋がり始め、その縁によって、自分が歩んで行こうとする道が見え、将来を真剣に考えていけるのかも知れない。そうだ、それが自立への第一歩だ。

(今まで私は、なんて傲慢だったのだろう。恥ずかしくて、穴があったら入りくらいだ。自分も彼らも全く差が無いのに。本当にごめんなさい)と内省し、反省した。そして、そう心から思えた瞬間、仕事を通じて彼らと出会い、向き合う毎日がとても貴重に思え、多くの学びを与えてくれることに感謝せずにはいられなくなった。本当にありがとう。

私の背中を押してくれた一言、住職の「あるがまま、あるがままの自分」である。その言葉のお陰で私は一歩進むことができた。越後で生まれた良寛禅師は清貧で、愛語で満ち溢れ、いつもその周囲は子ども達でいっぱいだったという。いつか私もそうなりたい。今でも一番伝えたい大切なことは何か模索しているが、その答えは急いで見つけようとは思っていない。その必要はないのかもしれないとも思う。ただ、変われるきっかけを求めて、勇気を出してサポステに来てくれる若者に、「今のあなたのまま大丈夫。きっと何か見つかるよ」とこれからも、精一杯、温かい励ましの言葉をかけていきたいと思っている。

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