【 佳 作 】

【テーマ:仕事から学んだこと】
教えることは学ぶこと
石川県 中谷 藤士 34歳

あ、景色が違う。見えるものが違って見えた。社内の勉強会で講師を務めた後のことだ。やりきった感、それもある。小ぢんまりとした会ではあったが、教えることの充実感もあった。それ以上に感じたのが、自らの成長だ。

ベンチャー企業で働いている。ベンチャーといっても既に30年近くが経っているから、新興企業とは言い難いかもしれない。それでも、気質はベンチャーそのもの。口にすることの威勢はいいし、社内はいつも活発だ。

そんな企業によくあることとして、スタッフの入れ替わりの激しさがある。大量に若手が入社し、仕事のハードさに音を上げ大量に辞めていく。批判されることもあるが、早くに仕事を覚え独立できるメリットもある。会社もまたそれを推奨している。良きと悪しきと半々といったところかもしれない。

それはともかく、このような環境の中、四〜五年勤めていると、自然と上の立場、古株になっていく。わからないことがあればアイツに聞けということになる。新人の教育係もなんとなく任されていた。そのうちに若手を集めて勉強会を開こうという話になったのだった。

正直、戸惑った。人前で話すことに、というよりも、教えることそのものに、だ。教育というのはそれほど評価されない。どちらかと言うと、本筋の仕事の合間にやるもので、教育係とはいっても教えることをメインとするのではない。私もずっとその調子で教育に携わっていた。しかし、勉強会と称しては、さすがに片手間ではいけないだろう。「知っていることしか教えられないよ」。渋々ながら引き受け、準備を進めた。

当日。約30人を前に、威勢よく話す自分の姿があった。いや、最初からハツラツとしていたのではない。聞いているほうがいちいち納得するから、こちらも調子に乗ってしまったのだ。自分が知っている程度のことでも知りたがっている人がいる。自分が知っている程度のことも知らずに仕事をしていた人がいた。伝えよう、という思いが芽生えてきた。「よくわかりました」の声もうれしかった。

今、日本の企業は、教えるということができなくなっている。勉強会を仕掛けた同僚に聞いた。スピードと結果が重視させる産業の構造上、教育は投資の対象になりにくい。オン・ザ・ジョブ・トレーニングと言いながら、見て覚えろというだけ。何もしないのが実情だという。形だけの研修をアウトソースして済ますことも多い。

私が社会に出たころは、まだ教育というものが残っていた。そこで先輩・後輩の関係が作られ、教えられたことを次は自分が教えようという気持ちにもなった。なんのかんのと言いながら、私が講師をできたのも、この経験があるからかもしれない。その意味で、私も古い世代の社会人になっているとも言える。

「30年は教育期間。50歳になったとき、残りの10年で還元してくれればいい」。たまたまお会いした歴史ある企業の幹部の言葉だ。伝統と巨大資本に裏付けされた企業の余裕と懐の深さを垣間見た。

もちろん、どの企業にも同じことを求めることはできない。規模も異なれば、仕事の質も異なる。しかし、教育ということに関し、一度見直してみてもよいのではないか。もっと教育に時間も人も金もかけるべきだと考える。教育に投資できない企業はやがて滅び、そのことが結局、国の疲弊にもつながる。少し調べてみて、そんな事例があることも知った。

教育は人を育てる。教育されるほうはもちろん、するほうも成長できる。勉強会は一つのきっかけに過ぎない。教育と真摯に向き合ってわかることが多かった。仕事に対し、真剣になる。理解が深まる。一つ高い視点が持てた。

今、企業は、いや、産業界は、即物的な結果ばかりを見ていないだろうか。教えることは学ぶこと。使い古された言葉であるが、その本当の意味を改めて噛み締めた。私は、あらゆる働く人が、いつかは、一度は、教える立場を経験すべきだと強く主張する。

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