【 佳 作 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
働くということ
東京都 岡田 美津穂 22歳

ほんとうは、もっと自分にあった仕事があるんじゃないのか。

そう考えることは、内定をもらってからも、仕事が始まってからもぼんやりと頭の後ろに漂っていた。
「内定でたんだ。どこ?」「福祉関係の……」「え、介護? まあ、今みんな大変だもんね」「介護、というより、知的障害者の施設で生活支援をするんだ。お年寄りも多いから、介護も含むみたいなんだけどね」「へえ、まあ就職できただけでもすごいよ……」そんな会話は、同輩とも先輩とも同じように繰り返される。

私自身、就職フォーラムで施設園長との会話で仕事に惹かれ、芸大の文芸学科卒でいながら、いままで全く関わったことのない、考えたこともない福祉職に行くことに、迷いがなかったわけではない。

就活だって、卒制が終わってからやり始めた。やりたいと思えない企業にしがみついて、色のいいことばかり面接でいう。そんなときに、ふと見つけた施設のブースで、運命のようにトントン拍子に内定にこぎ着けた。

仕事が始まると、職場は、いい人ばかりだった。施設利用者の方も、信頼を築くまで大変だよ、といわれていたので、根気よく明るく努めた。体力もいる、残業や持ち帰り仕事はないが、仕事を終えると電池が切れたように眠りについた。まどろむ時に、特に強く囁くのだ。
「これでいいのかな」

重たい気持ちをぶらさげながら、出勤。仕事内容も面白くないわけではないし、少しずつ、利用者の方と仲良くなっていくのも楽しい。けれど、ぼんやりと不安がある。

就活中に何度もいわれた「これから、もしも転職をするにしても2〜3年は、内定をもらった会社で働くんです。転職先がなければ、何十年も働くかもしれない。だから、自分のやりたいところに行きましょう」

ほんとうに、ここで「将来自分は後悔しないのだろうか」という不安だった。眠りさえしなければ自由な時間がある、という点では問題はなさそうに思えていた。

しかし、毎日緊張した仕事、ミスする度に、「インシデント(ちょっとした失敗)が大きなアクシデント、最悪利用者の方の命にも繋がります」と注意される。しょっぱなから感じる責任の重さに、涙が出そうだった。

自分に合っていない仕事なんじゃないか、そもそも働くこと自体向いていないんじゃないかという気持ちは、日に日に大きくなって、仕事に行きたくないとベッドにかじり付いていた日もあった。それでも、なんとか、仕事をこなしているある日、救命講習を受けることとなり、半日研修することになる。
「ああ、あの責任の中から、今日は解き放たれるのね」と、考えた。そんな私の背中を押してくれたのは、その時の講習に来ていただいていた先生の言葉であった。
「人工呼吸の際は、ひじを床についてください。楽な姿勢をとって。自分は楽にして、人を助けないとね」といったのだ。
「助ける人間は、人を助けられる状態でなければいけません。正しい姿勢は、人を助け、自分を守ります。だから、楽な姿勢で助けていいんです」

電流が走ったようだった。新人らしく頑張らなければいけない、命を守らなければいけない……。そういう風にすべて一括りにして持ちながら働けるはずがなかった。支援者として、支援する姿勢を私は見失っていたんだ、と気づかされた。命を守るのは大前提として、まず、利用者の人が「楽しく暮らす中」にとけ込むこと。そのためには、リラックスし、怒られたとしょげたりピリピリとしないこと。次は気をつけようと前を向く。休みの日にはしっかり休んで、自分が楽になり、仕事も、新人だからと抱えこまないで、楽にする。

楽に、というのは一見悪いことのようだけれど、オンオフさえしっかりすれば、それはより良い仕事を行うだけでなく、自身も守ることのできる言葉であった。仕事がそこそこ様になりはじめたら、自信もついてきて、先輩たちとも様々な関係を広げることができ、いつのまにか、働くという不安は、楽しみに変わっていった。

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