【 入 選 】

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
そんなちっちゃいプライドなら捨ててみたら
おんてむ子 26歳

私は大学を出て念願の看護師になった。配属された部署は一秒を争う、新生児特定集中治療室(NICU)という部署。生まれる命あり、消えていく命あり、目の届く所に保育器がありモニター音が絶えない、いつも緊張感に包まれた職場だった。月の半分を夜勤で過ごし、課題や役割をこなし、カレンダーなど関係ない勤務で働いた。看護師の宿命である。それでも500g余りのベビーが大きくなっていく姿は、看護師としてとてもやりがいのある部署だった。時に医師、先輩看護師にこっぴどく叱られ、嫌味を言われ、無視もされた。それも看護師の宿命だと思った。

そんな勤務をこなしていくうちに私の心も体も壊れていった。発熱、動悸、震え、発疹等々、とても勤務ができる状態ではなくなった。しかし、私には働かなければ一人前になれないという、プライドがあった。看護師になるまで、たくさん勉強した。他学部の大学生がサマーバケーションを満喫している時、実習に行き夜中、土日まで記録をした。大学4年生にもなると他学部の人達は就活を終えている人も多くなり、日夜思い出作りと旅行へ行ったり、飲み会をしたりしていた。それを横目に毎日図書館に通い、国家試験の勉強に打ち込んでいた。おかげで上位の成績で大学も卒業した。本当に私なりにかなり努力した結果だ。そんなこんな過程があり、私の中には、「他の人より頑張ってきたのに、ここで挫けてはならぬ」という精神が芽生えていたのだ。しかし心と体と頭はバラバラになっていき、一向によくならなかった。師長に心療内科を進められ、おそるおそる受診した。結果はうつ状態、何度か通院治療を行うも状態はどんどん悪化し、最終的に休職3か月のドクターストップを言い渡された。

休職期間、私は実家で過ごした。毎日希死念慮に悩まされ、すべてのことに懺悔する毎日。言葉も出ず、体も言うことをきかず、寝て過ごす日々を過ごした。もう、何もかも真っ黒だった。師長には時短勤務でもよい、どんな形でもよいから、働いてほしいと打診された。「なんで、周りより頑張ってきたのに、なぜ私にできないの」「私の今までの人生がすべてムダになる」そんなことばかりを話すようになった頃、私の母がふと一言、
 「そんなちっちゃいプライドなら捨ててみたら」
と言ったのだ。私は怒るどころか、はたとなった。私のプライドを固持してまで守りたいものって何。世間体?看護師としての威厳?みんなよりも多い貯金?地位?そこで初めて自分と向き合うことになったのだ。

自分と向き合うのは容易なことではなかった。私にとってそれはプライドを捨てる作業だった。自己啓発本と言われる流行りの本を片っ端から読んでいった。体調の許す日は散歩をして自分と向き合った。それは辛く苦しい道のりだった。結果、私は病院を退職し、看護師もやめてしまった。一度プライドを捨ててみたのだ。そうすると、本当に色々なことが見えてきた。朝の空気のおいしいこと、好きな歌のメロディーの素敵なこと、ご飯がおいしいこと。生きていることがきらきら輝いて感じられた。嘘だと思うかもしれないが、本当にそうなのだ。私が私を生きていると感じられた。後も、先も考えない、今を生きる感じだ。私は今までの人生を受け入れた。すべて私なのだ。そんな私も今は非常勤嘱託職員として、時短勤務で看護師とはまったく違う仕事をしている。いつかは看護の世界に戻りたいと思っている。でもそれはいつからでも遅くはないはずだ。きっと大丈夫。働く意欲さえあれば、何とかなるのだから。

今、何かに縛られて行動を起こせないすべての人に伝えたい。もしかしたら、それはあなたのプライドかもしれない、そして、「そんなちっちゃいプライドなら捨ててみたら」と。もしかしたら、今より自分らしい働き方が見えてくるかもしれない。

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