公益財団法人勤労青少年躍進会 理事長賞

【テーマ:私の背中を押してくれたあの一言】
働くことは、生きていくこと
大阪府 森 美那 25歳

「誰かの役に立ちたい」とか、「世界を変えたい」とかそんな立派な理由なんてない。だけど、私は私なりに精一杯仕事をしていたい。私は「働くこと」が、大好きだから。

高校生の時、私は心の病気になった。他人も家族も自分も、全部怖い。人とすれ違う事も、目があうことも、会話をすることも怖かった。何もかもが怖くて、何度も自殺未遂をした。「死にたい」そんな深刻な理由ではない。ただ、逃げたかった。「怖い」と何もできない自分から、逃げたかったのだと思う。

なんとか高校を卒業し、鉄道会社に就職した。新入社員の中で私は、一番問題児だった。自分でそう思う。薬の副作用で1日中フラフラしている。接客しなければいけないのに、人が怖くて喋れない。何もかもうまくいかないから、辞めたくて仕方ない。そんな私に職場の先輩が、アドバイスをくれた。「1年目は、笑顔で元気に挨拶ができたら1人前」まずは、元気に挨拶をする。そんな基本的な事から、教えてくれた。ペースの遅れがちな私に合わせ先輩方は指導してくれた。仕事を辞めたい、そう諦めそうになるたびに先輩や同僚に支えられ、何とか働く事ができていた。

入社して数年が経った今、旅行業の仕事をしている。数年前、体を壊して泊まり勤務ができなくなった私は、肩身の狭い思いをしていた。鉄道会社は、基本的に泊まり勤務だ。日勤でできる仕事は限られている。そんな時に、「一緒に旅行業の仕事をしないか」と声をかけてもらった。それがきっかけだ。

「最初のうちは、しんどいと思う。でも旅行業の仕事は、君にあっていると思うよ」その言葉通り、しばらくの間は辛かった。商品の種類は多いし、問い合わせ内容は多種多様で幅広い知識が必要だ。失敗をして、怒られて、何度も仕事を辞めたいと思った。そんな私に、先輩は根気強く旅行業の仕事を教えてくれた。そのおかげもあり仕事に慣れてきた頃、私は旅行業の資格を取得し添乗員としてツアーに同行するようになった。その頃にはもう、仕事が楽しくて仕方なかった。

昨年、私はまた体調を崩した。検査の結果、医師に「膠原病(自己免疫疾患の総称)」だと告げられた。それから、私は添乗員の仕事ができなくなった。紫外線は私の病気を進行させる恐れがあるからだ。それから数か月間、窓口で商品を販売していた。

夏頃から、左足に違和感があり痛み止めを飲みながら仕事をしていたが、9月頃には杖を使わないと歩けなくなった。仕事に支障が出るので、暫く仕事を休むことになった。検査をして、いろんな薬を試してみたが、中々効果が出ない。会社に報告に行く度、先輩が「君がいないと、困るから早く戻っておいで」と声を掛けてくれる。きっと私がいなくたって、問題なんてないだろう。それでも、先輩の心遣いが嬉しかった。根気強く治療を続け、11月頃には日常生活に支障がないくらいに回復し、職場復帰することができた。

私は、人に恵まれているのだと思う。挫けそうになる度に、いろんな人が助けてくれる。いま私が働くことができるのは、周りの人の助けがあるからだ。「働くこと」が好きなのは、働くことで人と繋がっていられるから。私はこれからも、色んな人に助けてもらいながら働いて行くのだと思う。

私は未熟で、誰かを助ける事はできない。だけど働いていく中で、周りの人と認め合って、支えあっていけたらいいなと思う。仕事の変わりなんていくらでもいる。でも変わりの誰か、じゃなくて「君が必要なんだよ」と伝えていけたらいいと思う。

私にとって「仕事」とは、私と人とを繋いでくれるもの。

私にとって「働くこと」は、生きることだ。

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