社団法人日本勤労青少年団体協議会 名誉会長賞

【テーマ:仕事から学んだこと】
愛のあるお金
香川県 秋山 瑞葉 22歳

曾祖母は、95歳を迎えてもしゃきしゃきと動く、大正生まれの元気なお婆ちゃんだった。食べるときと眠るとき以外はいつも内職をしていた。もちろん曾孫の相手もよくしてくれたが、私の中の曾祖母の印象は、老眼鏡を掛け黙々と机に向う、丸まった小さな背中だ。

毎月一日になると欠かさず、ポチ袋に入ったお小遣いをくれた。三つ折にした千円札が一枚。高校生になってもその習慣は変わらず、アルバイトを始めある程度のお金が手に入る様になった私は、次第に曾祖母からのお小遣いを蔑ろにするようになった。
「みっちゃん、お小遣いだよ」

ある夏の月初め、いつものように曾祖母がにこにこと笑いながらポチ袋を差し出した。お菓子を食べながら携帯を弄っていた私は、そこに置いておいて、と適当に返事をした。その瞬間、台所に居た母が飛んできて、わたしの頬を叩いた。
「お婆ちゃん、ごめんなさい。少し失礼します」

呆然としている私の手を引っ張り上げ、母は居間を出た。母の自室で向かい合って座ると、母が私の目を真っ直ぐ見据えた。
「あなた、ひいばあちゃんが毎日している内職、お給料幾らだと思う?」

私の働くコンビニは時給750円なので、時給400円くらいかなあ、と答える。母は首を振った。
「朝から晩までコツコツとボールペンを組立てて、やっと得られる一日のお給料は200円ほどなの」

その額はあまりにも少なく、衝撃を受けた。早朝から机に向う、痩せた小さな背中を思い出す。
「一度提案したわ。お婆ちゃんはもう充分家族を守ってくださったのだから、もっと自由に過ごしてくださいって。曾孫へのお小遣いは、私の財布から出させてくださいって。お婆ちゃんは笑って首を振ったわ。あなた達のことを愛しているから、働かせてくださいって仰ってた。大した額は渡せないから、せめて一生懸命働いた、愛のあるお金を渡したいって」

母は泣いていた。私も涙が止まらなかった。愛のあるお金。曾祖母が私達のことを思い、働いて得たお給料を、私はあんなにもぞんざいに扱った。泣きはらした顔で自室へ戻ると、机の上にポチ袋が置いてあり、中には三つ折の千円札が3枚。それとメモ用紙に曾祖母の小さな文字が並んでいた。
「いつも少ないおこづかいで、ごめんね」

枯れたと思っていた涙がまた溢れた。その秋に、祖母は亡くなった。亡くなる前日まで、ボールペンを組み立てていた。

私は高校を卒業後、就職した。

働くということ。それは、誰もが楽なことではないと思うだろうし、やっぱり月曜日は憂鬱だ。お金が天から降ってこないだろうかという馬鹿げた妄想も、週に一度はしてしまう。

けれど、天から降ってきて苦労せずに得たお金に、愛はあるだろうか。そのお金で食べる食事は、美味しいだろうか。そのお金で誰かを喜ばせられたとしても、私の心にしこりは残らないだろうか。全て、曾祖母の働く背中が教えてくれたことだ。

面倒くさいと思う仕事も、不条理だと思う仕事ももちろんある。泣いたり落ち込んだりしながら、それでも毎日会社へ行く。愛のあるお金を得るために。そのお金で、大切な人を笑顔にするために。

初めて頂いたお給料は、ポチ袋に入れて机の引き出しに仕舞ってある。何十年後かに、天国で曾祖母に渡すつもりだ。そのためには閻魔大王に地獄へ連れて行かれぬよう、しっかり働いて誰かの役に立ち、充実した人生を送ろうと思う。

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