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 10年後の自分に宛てた手紙
熊本県立技術短期大学校 田中 誠一郎 43歳

10年後の私よ、こんなことがあったことを憶えているかい?

「先生、おれ、この学校に入学して初めて誉められたよ」思いがけない言葉に私はビックリした。今はマシニングセンタの加工実習中。課題のネームプレートをA君と一緒に完成させたところだ。私は完成したネームプレートを見て、「A君、よく頑張ったね!プログラミングも加工工程もすべてOKだったよ」と他の学生に接するのと同様に、A君の頑張りをねぎらってあげたのだった。そこで冒頭の言葉である。15年間仕事をしてきて、こんな言葉を学生の口から聞くのは、私の方こそ初めてのことであった。

A君は成績的には優秀な学生ではなかった。他の授業でもクラスメートの後塵を拝し、誉められることなど無かったようである。それが災いして、ちょっと見には授業に対して不真面目に見えるところがあった。他の先生からの評判も良くなかった。しかし人間としては、若者らしい情熱を持ったごく普通の学生であった。私はA君が与えられた課題をきちんとこなしたことに対して、意識するでもなく自然とねぎらいの言葉をかけただけなのである。A君は今まで見せたことのない満面の笑顔で、たった今完成したばかりのネームプレートを高く掲げているのだった。しかし、そんなA君の素晴らしい笑顔を見たのは、それが最初で最後であった。A君はカリキュラムについて行けず、退学してしまったのだ。

退学するような事態になったのは、A君のせいだろうか?私は自問自答した。私の職場は職業訓練校である。入学にあたっては若干の試験があるが、基礎能力の確認の意味合いが強い。そこをパスして入学してきたのだから、A君の能力が他の学生に比べて著しく劣っていたとは私にはどうしても思えなかった。むしろ、A君の実力を引き出してやることができなかった、指導員側の責任ではなかったのだろうか?と思うようになった。たった一言ねぎらいの言葉をかけるだけで、学生のやる気は高揚するのである。A君は、私にそのことを教えてくれた。

昔から「誉めて伸ばす」という教育方針がある。過酷な受験勉強のようなスパルタ式ではなく、学生一人一人をよく観察して、その学生にあったやり方で課題に取り組んで達成感をもたらし能力を伸ばしていく。これが私の仕事において「誉めて伸ばす」指導方法だと私は考えている。私の所属科でも、成績の振るわない学生をいかに気にかけて指導し、その能力を引き上げてやることが職員の一致した指導方針である。私は先輩職員のこのようなやり方を見て、自分も同様の指導を行うことを心がけている。私はスパルタ式の指導を非難するつもりは全くない。何ともなれば、私自身がそのような教育を受けてきたからである。しかし、私はこの職場に入って自分が教える側の立場になったとき、職場の教育方針をコツコツとではあるが地道にやってきたことによって、A君のように自信を持つ学生が育つことを実感した。「誉めて伸ばす」という昔ながらの教育方法は、やはり有用なのである。

10年後の私よ、君は今でもそうやって学生の指導をしているのか?少子化などによって学生の雰囲気が変わっているかもしれないけれど、若者の本質が大きく変わっているとは思えない。A君のようにたった一言で自信を取り戻す学生がいるのだ。「誉めて伸ばせ」今までさえない顔をして授業を受けていた学生が、目を輝かせて課題に取り組んでくれるよ。そしてそれは、私たち指導員の大きな喜びとなり、仕事のやりがいとなって毎日を充実したものにしてくれる。私はそう思って今の仕事を頑張っているのだ。10年たっても、この気持ちはきっと変わらないと信じているから。

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