【 努 力 賞 】
何気なく見ていた新聞で、仕事をテーマにしたエッセイを募集していることを知り、ふと働くことについて改めて考えてみた。
気が付けば40歳。けっして若者といえる年齢ではなくなっていた。妻と2人の子供もいて、今では家族を養うために働いているし、安定を求めている。だからといって別に悲観してほしくはない。なぜなら、私自身も家族に支えられているし、妻と子供たちが頑張る活力になっているのは事実なのだからである。
では、若い頃はどうだっただろうか。確かに今とは違う思いがあった。私は大学を卒業して、実家の千葉に本社のある会社に営業マンとして就職した。入社した当初は、成績を上げたかったし、会社にも認められたいと必死だった。出世したいという野心もあったし、いずれは独立して起業するんだという夢もあった。
その後、新潟に転勤になり、そこで妻と知り合い、今では妻の実家が営んでいる製本屋で働かせてもらっている。結婚して子供もできて生まれ育った関東から離れ、新潟に家を持ったのだから、人生不思議なものである。
前の会社では、新潟の後に名古屋に転勤になり、そこでもまた新しい仲間と働くことができ、色々と貴重な経験をつむことができた。
こうして考えてみると、仕事において大事なことは、人との出会い、そして人と人との繋がりじゃないかと思う。これは、仕事に限ったことではないかもしれないが、仕事をすることによって、そのチャンスは多分に与えられるような気がしてならない。
名古屋にいたときの上司によく言われたのが、「おまえ、仕事楽しんでるかぁ?」だった。もちろん、仕事をしていれば嫌なことだってたくさんあるが、そこで自分がどう考えるかによって雲泥の差がでるのだ。お客からクレームが入り、困った顔をしていた私に「クレームこそチャンスやろ。お前の対応次第でまた仕事が増えるかも知れんぞ。嫌ならその客俺にくれよ」などと笑いながら言われたこともあった。
気の持ちようで状況は転換する。その上司は常に仕事は楽しむものだということを実践して見せてくれる人だった。今でも私は、何か困難なことにぶつかると、「いや、待てよ。もしかしたらこれがきっかけでいい方向に転ぶかもしれないな」などと、プラスに物事を考えることができるようになった。
この上司は、とても営業成績も優秀だったのだが、ある時同行させてもらうことができた。しかし、お客のところに行ってもほとんど仕事の話はしない。雑談して終わることもある。
「お客と話をするときは、仕事の話は1割から2割でええよ。あとは仕事以外の話をしろよ」
その時そう言われたのだが、意外とこれが難しいのである。やはり、仕事において大事なことは人と人との繋がりなんだということを目の当たりにした瞬間だった。
正直、私にはこれといった特技もなく、たいした取り柄もない。ただ言えるのは仕事が嫌いじゃない。そう、仕事が好きなのである。これが唯一の取り柄かもしれない。子供時代、けっして暮らしは楽ではなかったが、真面目に一生懸命働く父の背中を見てきたことが、そうさせてくれたのだと思う。
父はサラリーマンだった。高校を出て、働きながら製図を覚えたという。真面目な働き振りを買われ、定年後も働いている。70歳を過ぎた今でも父は図面を引きに会社へ行くのである。定年後は一時期仕事から離れたこともあったが、やはり働いているときの父のほうが生き生きとしている。会社から必要とされていることが嬉しいし、誇りでもあるのだろう。
時代も移り変わり、「仕事がない」などという言葉がよく聞かれるようになり、私の会社も仕事量が激減した。お金を稼ぐということは本当に大変なことなのだ。サラリーマンとは違う経営者の苦労を今は痛感している。それでも、なんだかんだで商売ができるのは、やはり人と人との繋がりなんだということを身に沁みて感じている。
人それぞれ色々な生き方があり、どの生き方が正しいなどという答えはないが、信じるものは持っていたい。
「お天道様は見てくれている。頑張れば花開くんだ」
その考えがなければ私は仕事などできない。そして、今までそうしてやってきたことが間違いではなかったと自負している。
いずれ子供たちが働くことになったときは、チャンスがあるならどんな仕事にでもトライしてもらいたいと思う。
そこから人との出会いがあり、人と人とが繋がって、無限の可能性が広がっていくのだから。