【 佳 作 】
ビックリ!ビックリ!どうなったの・わたし・「詩人」まさか?そのまさかのDVDが生まれ故郷の同級生から送られてきた。「次の曲は・やまのべ町出身の詩人・岡崎カズヱさんの作品・「その時18の春」を歌います」と、ナレーターが、説明しているのです、ジェジェジェ、いつから私が詩(し)人になってしまったのかしら、どうしたの?、ビックリしました。今年の3月のことでした。町の音楽祭で、同級生の指揮者が、私の作った詩を取りあげて、コーラスで、歌ってくださったのです、おまけに、気をきかせて、ナレーターまで入れてくれたのでしょう、わたしは、74才、今も現役の勤労婆さんです。かれこれ50年も、衣裳作りの職人をやって来ました。仕事となりますと、良い加減とばかりは行かないのです。家庭もそうです。どちらもイイ加減になり、しばしば脱線もあるわけです。しかし、なんとかここまで続けてこられたのは、やはり家族の助けがあったればこそ、と感謝しています。人生山あり嵐あり、人ひとりとして苦難をのがれられるすべはありません。衣裳を作りながら、ミシンを踏みながら、むせび泣きしたり、止めどもなく流れ出る涙で中断したり、とことん行き詰まる時もありました。そんな時は、手みじかにある広告の裏とか紙切れに、なぐり書きをして、ミシンの引き出しに、ねじ込んで、早め早めに問題を解決処理するのが、私流のストレス解消法だったのです、嬉しいことがあれば、それもまた、美しい言葉にメモって、引き出しの中へポン、いつしか、私の歩んだ記録となって、紙くずが、溜っていました。サテ、そろそろ身の廻りの整理をしようと、毎日、少しずつ、紙のしわをのばしながら、読み直ししながら、人様(ひとさま)(他人様)に見られてはまずいものは破き、心に突きささる様な言葉は破き、だんだん量も減ってきて、スッキリ感が出てきました。わすれることも大事、思い出を残すことも大事、これからは、最期の旅に出る身支度も大事です。身体が洗われるようなここち良さでした。そんな時です、「詩人の神さま」が現れたのです。長年声楽をやっていらして、ずいぶんドレスを作らせていただきました。大切なお客様です。その方が、私の一辺の詩を拾いあげてくださり、作曲の先生につなげて下さったのです。それは、忙しく働くだけの母親だったけど、娘が18歳だったあの頃が、まばゆく感じたこと、詩に仕立ててありました。作曲の先生に渡ってしばらくして、曲がついて帰って来たのです。早速生まれ故郷の実家に送りました。そこからドラマが始まりました。それを町の合唱団が歌ってくれて友人が送ってくれたのです。それを聴いて私は泣きました。自分の人生に想像もしていない出来ことでした、昔、子どもの頃、裸(はだか)電球にパチッとスイッチを入れた時の、あのまぶしさが、蘇み返ったのでした。ここまで、めまぐるしく変化する時代の中で、土台になる知識も無く、模索しながら、一つ作って、また一つ、そのくり返しで、自然に探究心が養われてきたのでした。これからもそうだと思います。力(りき)みもせず、ただ指先に集中してモノ作りに向かってきた事、一つ一つ丁寧に生きてきた事、あたりまえのことを、あたり前にやってきた事、そんなことが、私に、褒美として、裸電球のあのまばゆい光を放ってくれたような気がしたのです。
人生は、額縁の中に、自分の一生を絵画く様なもの、「生きていて無駄なことは一つも無い」が、私の持論です。一人一人の絵がちがっていて意味があるのです、働き方を見い出す力は、個々の自分の中にあると、私は考えております。
若者よ、未来を切り開く若者よ、縁あって着いたその仕事にもアイデアとヒントが限りなく秘められているものです。あなたがたの知恵でカギ穴をあけて下さい。仕事の楽しみは、そこから始まりますよ。